唱歌「ふるさと」の歌詞で「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」とうたわれる風景、みなさんには「あそこがそうだ」と思える場所があるだろうか?
私は群馬県の前橋市内で幼少期を過ごした。小学生のとき「ふるさと」の歌に出てくるような、水生の小動物や昆虫を採集できるような小川を探して自転車で遠乗りしたことがあった。でもかなり遠くまで出かけても前橋周辺にはそうした場所を見つけることができなかった。いまにして思えば当然なのだ。前橋市は台地であり、私が「川」だと思っていたものは利根川の上流で取水した用水路とその分水だから、生きものが世代交代できるような自然の小川があるはずないのだった。田植えのころにはあふれんばかりに水が流れるが、それが終われば干上がって1滴の水もないような2面コンクリートの農業用水ばかりだったのだ。
大人になった今ならば、前橋市内でも生きものがいる自然の川が指摘できるし、ウェーダーを着て川に入り、葦の根元でもすくえば小魚くらいは捕れるような場所も見つけることができるだろうが、それは小学生がやるようなことではないし、唱歌に描かれたのどかな「こぶな釣り」とは違うのだ。
前橋を離れてから私はいろいろなところに住んだけれど、身近にふるさとの風景を重ねられる場所はなかった。
そんな私が徳島に転居して、初めて「ふるさと」の歌詞に出てくるような場所に出会った。それが市内勝占町の多々羅川だ。
多々羅川は渋野町の山に流れを発する河口までは全長15kmくらいの河川で、途中で他の川と合流するから純粋に多々羅川である区間はその半分くらい。ここはその「多々羅川としては」最も下流のあたりだ。
川は水量も豊かで、ゆるやかに田んぼの中を流れる。両岸は石垣、川底は砂地で水草が揺れる。川辺には柵もなく、まさに田園といった風景。農業用水路ではあるが自然の川だから1年を通じて水があり、生きものの気配が濃厚なのだ。
これこそ私が小学生のころ見たかった、こぶなが釣れそうなふるさとの小川だ。
両岸は垂直の石垣だが、人間を拒絶するわけではない。
川には所々に石段があり、川に降りたり農具を洗ったりできるようになっている。
川底は砂地なので水草やガマなどが生えている。
魚は、、、コイ。
カマツカ。
タナゴかな?
ほかにもいると思われるが、岸から見るだけでは全容はわからない。
アカミミガメもいる。
まだ子亀だから、親亀が川の土手や畑の土中に産卵して生まれたものだろう。
多々羅川で私が一番好きなポイント。
欄干の無い簡素な橋がかかり、川辺には白壁の一軒家。
この農家の作目は何なのだろう。あまり見ない納屋の形だ。元牛舎かな。
主屋の2階にも作業場がありそうなので、もしかしたら養蚕?
ところでこの橋を渡った先に、コンクリの箱のようなものがあるのにお気付きだろうか。
これは「
現代のように化成肥料が手に入らなかった時代、農村では肥料分(特にリン酸?)の調達が死活問題だった。徳島市街にも近い農村では商業地から屎尿を買ってきて肥壺で熟成させて肥料として利用していたのである。
江戸時代や明治時代のことではないよ?
戦後までそうした方法が続いていたのだ。
2つの肥壺の間にある住宅街の横を流れる小さな水路。
どうということのない用水路に見えるけれど、、、
川底を見ると無数の貝殻が沈んでいる。
多くはシジミ、タニシ、カワニナなどの貝殻だ。
大きな二枚貝がいた。
出水管と入水管が開いている。
種類はわからない。タガイかな。
よく見ると、川底の砂のいたるところに二枚貝の出水管が。
この写真の中だけで5匹はいる。
這って移動している二枚貝もいた。
カワニナはコンクリの壁面を登って、比較的浅い場所に集まっているようだった。
リンゴガイも生息している。
近くの山ぎわを流れる側溝。
この側溝も貝殻が多い。
小魚が泳いでいるのが見えた。
背びれの付け根に黒い点がある。
タナゴの稚魚かな?
大型の二枚貝がたくさん生息しているから、それと共生関係にある魚がいてもおかしくはない。
少し上流に行ったところの多々羅川。
堤防が造られコンクリ擁壁のものすごく人工的な風景になるのだが、逆に川底は水草で埋め尽くされている。
コウホネが一面に生えている。
ヒシの一種。
クロモかな。
セキショウモかな。
水の中には地上とはまったく違った植物の世界がある。
(2007年10月14日訪問)