埼玉県立 川の博物館にあった荒川水系の全体パネル。
ここまで入間川の支流、

越辺川の源流は黒山三滝で延長はおよそ40km。たくさんの支流を持ち、その中でも
越辺川に支流が多いということは合流地が多いということでもあり、氾濫しやすい川と言い換えることができる。

越辺川が入間川から分かれて最初の支流が飯盛川だ。
写真中央が飯盛川、写真奥を横切るように流れるのが越辺川である。
現在、合流点には水門と排水機場があり氾濫の危険性は少なくなったが、この工事が完成したのは2002年。それまでは自然合流だったので写真で見える範囲は極めて浸水しやすい場所だった。越辺川上流で大雨が降れば支流の飯盛川に水が逆流しただろうし、飯盛川の上流で大雨が降れば越辺川に排出しきれない水があふれただろう。

飯盛川の右岸(写真の手前側)が小沼地区、左岸(写真の奥側)が赤尾地区である。
そのむかし、飯盛川が氾濫するときには小沼側に氾濫することが多かったという。困り果てた小沼地区の人々が村の東光寺の僧「梶坊」という者に祈祷をさせたところ、対岸の赤尾にある諏訪神社の神が小沼側の堤防を壊すのが原因だと判明する。梶坊は堤防を守るためには対抗する力が必要だと考え、自ら入水して守護神になったという。

この梶坊の伝説が残された文章どおりのものなのか、あるいは漂白の六部が無理やりに人柱にされたという話の変形なのかはわからないが、長いあいだ水害に悩まされてきた土地に伝わる壮絶な伝説だ・・・。
右岸堤防の下に梶坊を祀る祠がいまも残されている。

こちらが梶坊大権現。
目立たない小さな祠だが、草刈りされ管理されていることがわかる。

祠の中に墓石のようなものが収められていた。

江戸時代後期の元号が彫られている。

堤防が切れた場所には九頭竜権現が勧進されることが多いが、ここでは梶坊大権現が堤防を守っているのだ。

祠の前には馬頭観音も祀られていた。

堤防の上に上がってみた。
カスリーン台風の水害のあとに築かれたという堤防はかなり強固なので、小沼側に決壊する可能性は低そう。
梶坊の願いは昭和になってようやくかなったのだ。
(2025年07月13日訪問)