高麗神社

高句麗の王族を祀る神社。

(埼玉県日高市新堀)

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高麗(こま)神社。

高麗川沿いに移動してきた関係で高麗家住宅の後に訪れたのだが、高麗家は高麗神社の社家にあたるのだから、本来ならば先に高麗神社に訪れるべきだ。

高麗家住宅の駐車場に停めてそこから歩いたので、裏口から境内に入る形になってしまった。車で移動して表参道前の駐車場に入れ直せばよかった。私は裏口から入った場合でも一の鳥居まで確認するので歩く距離は節約にもならないのだ。

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表参道には広大な駐車場がある。ここだけでも200台くらい置けそう・・・。

少し離れたところにもさらに広い駐車場があり、神社は全体では600台以上分の専用駐車場を持っているようだ。初詣需要だと思うが、普段の日であれば駐車所の心配はまったくいらない。

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高麗神社は奈良時代の人物、高麗若光(こまのじゃっこう)を祀る神社だという。若光は高句麗の王族のひとりといわれている。

高句麗は朝鮮半島の付け根あたりにあった大国。『日本書紀』によれば高句麗が唐に攻められているとき若光は支援を求め渡来したが、本国が滅亡したためそのまま帰化したとされている。その後亡命した多くの高句麗人たちが東国に分散して暮らしていたが、霊亀2年(716)に高麗郡に集められた。その際、若光が郡司に任命されたという。

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参道入口にあった境内図。

「⑱祭器庫」などと非常に細かいものが載っている反面、本殿周辺は「⑥社殿」とかなりおおざっぱ。描かれていない建物もある。

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参道には一対の将軍標(チャングンピョ)が立てられている。2005年に在日の韓国人団体から寄贈されたもの。

将軍標って韓国に行ったらいまでも田舎などで普通に見られるのかね? 資料館ではなくて。

日本では将軍標は日高市内に何ヶ所か、山形県の道の駅で見られるほか、群馬県ではよく利用する焼肉チェーン店に立ってるのでかなり見慣れている。

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ちなみにウチには将軍標の郷土玩具がある。

むかしのことなのではっきりとしないが、たぶん学生時代に高麗神社で買ったのだと思う。

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二の鳥居は木造。

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二の鳥居の前には自動車お祓い所。

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二の鳥居を入って少し行ったところに、左手に「水天宮遥拝所」というものがあった。

登山口があり、どうやら背後の山の尾根に末社の建物があるようなのだが、けっこう歩きそうなので登るのはやめておく。きょうはまだ見たいところがあるので。

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さらに進むとあるのが祓殿(はらえどの)。境内図には載っていない・・・。

扁額によれば「祓所」とある。

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祓殿は参拝者を祓う場所というような場所で、当サイトで紹介してきた神社の中にも何度か登場しているが、機能を体現しているような社殿ではなかった。

それらに比べると高麗神社の祓殿は比較的わかりやすい。

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そこから短い石段を登ったところに神門がある。

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三間三戸の薬医門の向唐門とでもいえばいいか。

これも境内図に載っていない。

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拝殿。

拝殿の両側はふさがれているので本殿に肉薄することはできない。

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拝殿といっても、機能的には礼殿(らいでん)である。

礼殿は一般の参拝客のための神事を行なうための建物である。

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少しでも横のほうから拝殿と本殿を見てみる。

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構造的には拝殿と本殿がエの字型に密着した「権現造り」で、拝殿の前方に礼殿が密着したものとらえて差し支えないような気がする。

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拝殿の右側には二階建ての社務所。

境内図によれば参集殿。

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その隣りにはきれいなトイレがある。

すべてが大規模。初詣では相当の参拝者があるんだろうな。

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コンパクトな神楽殿。

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内部には古代装束とされるものが展示されていた。

年明けにファッションショーをするようだ。

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神楽殿は背後に楽屋のような建物が連結していた。

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境内図によれば「斎館」。

祭事に神官が待機する場所というような意味。

左半分は初詣時の護符売場。

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斎館の背後には2階建ての建物。倉庫的なものだと思われる。

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境内図で「祭器庫」とされるもの。

外観的には御供所ではないかと思う。人が行かないような場所にあるが見落とさないように注意したい。

(2022年12月08日訪問)