
坂戸西ICから近い中里地区。

その共同墓地の一角に橋供養塔があるというので見にきた。
でも石塔がいっぱいあるし、すぐわかるかな・・・。

橋供養塔は墓地の外側の辻堂に納められていたので簡単に見つけることができた。

この右側の地蔵が橋供養塔だ。
橋供養塔には様々な形態があり、こうした石仏の基壇に供養の目的が書かれたものもある。

基壇に「橋供𫝥」の文字が彫られていてはっきりと読み取れる。「𫝥」は「養」の異体字。
年号は宝暦十三年(1763)とある。江戸時代中期だ。

左側の低い地蔵は墓石のようだ。たくさんの人の名前が書かれているので、疫病や水害で一度に亡くなった人がいたのか。
これまで私は、こうした高い基壇を持った石仏、特に地蔵尊は河川氾濫地帯に多いのではないかという感触を持っていて、特に顕著なものを高地蔵としてタグ付けしてきた。もしかしたらこれまでに見てきた中にも、橋供養に関係するものがあったのかもしれない。今後は造塔の目的を確認したほうがよさそうだ。

墓地の周囲にははっきりとした橋の跡、川の跡は見当たらない。道路に沿って生活雑排水路の暗渠があるくらいだ。

でも共同墓地から100mほど西に行ったところに中里用水という用水路を市道が渡っている箇所がある。

この道路橋の両岸に古い橋の残骸と思われるものが置かれていた。こちらは橋の北側。

橋の南側にもいくつもの石材が置かれている。
もしかしたら、墓地にある橋供養塔はもとはこのあたりに立っていたものを道路の拡張時に墓地に移動したものかもしれない。
(2025年09月17日訪問)