
七清水緑道公園を少し北へ。

歩道わきに緑泥片岩の大きな板状の石が転がっている。
これはかつて東光院の東側にあった石橋の残骸なのだという。

その残骸のいわれなどが書かれた看板が立っていた。このように道路工事で撤去した石橋を廃棄せず、安置しているのは現代の石橋供養だ。
東松山市教委が建てている石橋供養の文化財の看板は一貫して「石橋供養はたくさんの人が関わったから、それを伝えるために建てられた竣工記念碑である」という文脈で説明されているが、私は「橋の架け替え」に関連したものという印象を持っている。

もと、石橋があった場所はガードになっている。

現在、戸建ての団地があるあずま町は、平成後期にかさ上げされて誕生した埋め立て地で、それ以前は崖下は低地で家を建てられる場所ではなかった。(画像は昭和終りごろの高坂駅東口)
ガードのある坂道も団地造成によって出来た新道で、おそらく石橋は"⇩"のあたりにあったのではないか。残された石材の大きさからして、人が用水を跨いで、崖下の湧き水を酌むためくらいの小さな橋だったろうと思う。
(2023年04月02日訪問)