
東武東上線の都幾川橋梁の横に河跡湖がある。横の県道を通るときにいつも気になっていたので行ってみた。
堤防から河跡湖へ降りる砂利道に橋供養塔がある。

これは、2022年に私が埼玉県の沈下橋巡りを始めてから、最初に見つけた橋供養塔だ。
いまは橋供養塔を見つけたら、橋の残骸がないかとか、建立した年代を確認しているが、このときはまだそうしたルールがなかった。

正面には「普門品講中 石橋五ヶ所供養塔」の文字が彫られている。
「五」はマジックナンバーというわけではなく、これは文字通り5ヶ所の石橋を対象にした供養塔という意味でいいと思う。

5ヶ所の石橋がどこに架かっていたかというと、おそらくこの曲がりくねった小川にあったのだろう。
現在、都幾川の左岸道路は写真の左端に見える2車線の県道だ。だが、江戸時代の街道は小川に沿った道だった。砂利道だが道幅はしっかりとあり、江戸時代の道としてはそこそこ立派な道だったはずだ。
いまも圃場の形が不規則で、耕作機械を入れての作業がやりにくそう。用水を直線化したり、圃場を長方形に造成したりといった土地改良が行なわれていない珍しい田んぼだ。こういう田んぼ、探すと意外に少ないのだよね。いままで見てきた川では葛川上流部や赤間川の上流部で見られるけれど。

この小川は素掘りの用水路で見ごたえがある。
馬入れは現在はトラクターなどが通るためにコンクリの橋になっているが、江戸時代はせいぜい農耕用の牛馬が渡る程度だったから石橋でも事足りたのだろう。

ただし水量は多くなく、季節によっては完全に枯れるかもしれない。
(2022年11月06日訪問)