私がまだ堤防に興味がなかったころのこと。
吉見町をウロウロしていて、この道を通ったことがあった。わずかだけど道が周りよりも高く、「あれ? いま堤防の上を走ってるのでは?」と気が付いた。
このあたりでは荒川は南北に流れているから本堤防は南北に築かれている。でもこの堤防は東西に続いている・・・これはいったい何なのだろう?
私が気付いた場所は"⇩"のあたり。
あとで調べて見たら、これは「控え堤」という種類の堤防で、水害が発生したとき堤内地全体に被害が広がらないように氾濫水を止めるものだということを知った。名前は「大工町堤」という。
それ以来私は堤防に注意を向けるようになったが、その上でもこの大工町堤は面白く、興味深い堤防といえる。
先ほどの写真の"⇩"のあたりに、小さな塚があり、その上に小さなお堂が建っている。
塚は水塚であろう。
墓地は大工町堤の堤外側、つまり水害が起きたときに水が溜まる側にあるので、敷地全体が少し高くしてあるのだ。
ここは地域の共同墓地なのだが、お堂があるのでお参りしていくことにした。
境内に入ると目に付く場所に橋供養塔がある。
「鎮守幡杬 三箇所」、「村内石橋 十六箇所」、左面には「百番拝禮供養塔」という文字がある。
右面に安政三年の銘がある。
お堂は目測1mほどかさ上げされている。
お堂の前には板碑が2枚。
左側は鳥の糞がかかっていて見にくいけれど、線刻の阿弥陀三尊来迎図ではないかと思う。
お堂の中にはお神輿みたいな厨子があって、小さな薬師如来が納められていた。
参道にある石造多宝塔。
地蔵菩薩4体と、聖観音。
地蔵菩薩の基壇には供養札が貼られている。
この地方でよく見る風習。
無縁仏置場には舟形、額縁付き櫛形の墓石が目立つ。
江戸前期~中期くらいの比較的古い無縁仏だ。
(2026年05月05日訪問)
