
続いて、大里町の和田吉野川左岸(北側)を見ていく。このあたりは和田吉野川、通殿川、荒川の3河川が収束していく場所で、いかにも水害が発生しやすそうな地勢だ。標高だけから言えば先ほどまで紹介してきた和田吉野川右岸の玉作地区のほうが低いのだが、県が発表しているハザードマップを見ると冠水リスクが高いのは圧倒的に和田吉野川左岸なのだ。
まず最初に高本という大字を見てみよう。地図からわかるように、高本は和田吉野川と通殿川の合流地にある最下流の集落だ。
この集落では実際に水害にあったという経験談を聞いたことがある。集落が冠水するときは和田吉野川や荒川の堤防が決壊して一気に濁流が押し寄せてくるというのではないという。普通の夕立のときに暗渠排水がキャパオーバーになって道路に水が流れるような感じで、まず車道に透き通った水がサラサラと流れるという。それが続くうちにどんどん水位が上がってきて、集落が冠水するのだそうだ。

南の比企丘陵側から和田吉野川の
堤防が非常に高く築かれているのがわかる。水害のリスクが高い場所だから、何としても川をあふれさせないという方針なのだろう。
だが先に書いたようにこの地域の冠水は上流側の堤内地を流れてくる水でも発生するため、逆に堤防がダムのように機能しかねない。そうなったときは排水機場のポンプによる強制排水が頼りとなる。

簀子橋を北側に渡ると、田んぼの中に低い土手がある。
これがおそらく昔の左岸の河川堤防だったのだろう。堤防と言えば堤防だけど、現代の基準からすればあまりにも頼りない。

その堤防の先には高本集落の家並みが見える。
家がある場所は水田からは1m以上は高く、微高地になっている。おそらく自然堤防ではないかと思う。


この家は家屋のある部分を道路より1m以上高くしてあり、蔵の部分は2mくらいの高さがある。
昭和時代に造ったものだという。カスリーン台風とかの被害の際に築いた水塚なのだろう。水塚というと何となく江戸時代にでも出来たものという印象があるが、比較的新しい時代に造られたものもあるのだ。

このお宅を表通りから覗いてみると、、、

倉庫の下屋に上げ舟が吊ってある!
上げ舟とは水害時の避難などに使うために各家が持ってる非常用のボートだ。
上げ舟を探すときはこんな感じで倉庫の下屋を探せばいいんだ!
話を聞いたら、上げ舟としては大型で、養蚕が盛んだったころ1蚕期の売上をすべて使ってこの舟を手に入れたそうだ。船大工は荒川の対岸の熊谷のほうにあったという。

この通りには他にも立派な水塚がある。
(2023年02月18日訪問)