閑谷学校から和気町までは車でわずかな20分くらいの道のりだったが、目的の法泉寺は小さな寺のうえ案内板などもなく、到着に予想外に時間がかかってしまった。もう時刻も遅くなっていたので少しの時間のロスも気が気ではない。道々で鉄道廃線を見かけたが、とにかく寺に着くことを最優先にした。廃線は片上鉄道という鉱山鉄道跡であり、偶然に旅の最終日に終着駅に立ち寄ったので後で語ることにしたいと思う。
さて問題の法泉寺、見てもらえばわかるように、なんと擬洋風の寺なのである。建てられたのは明治9年というから生粋の擬洋風時代の建物と言える。
本堂正面は5間で吹き放ちの縁になっている。柱は円柱、向拝は三角形の千鳥破風だが、これは破風というよりギリシャ神殿風のペディメントをイメージした意匠といっていいだろう。
本堂は驚くべきことに町指定の文化財にしかなっていない。あまり知られていないのもそのためではないか。
この山里の寺に最新の建築技法を用いた先進的な発想には閑谷学校をいただいたこの地方の歴史が少なからず影響しているはずである。そして明治ごく初期の自由闊達な雰囲気を伝えているという点でも、少なくとも県文には値すると思うし、国重文に指定しても惜しくない建物である。
境内にはほかに鐘堂、玄関、庫裏×2。
正面の柱は丸柱で軒の部分は漆喰で飾りが施されている。
丸い穴を模様にした丸い小窓もおしゃれである。
吹き放ちの内側に入ると、突如として和風な空間になる。この和洋の切り替わりも面白い。
本堂内に上がらせてもらった。
正面全てが引き違い戸になっていて、その上には荒波を描いた障壁画がある。従来の寺のイメージに捕らわれず、これほど自由な発想が明治9年にできたということは驚くべきことだというほかない。
ただし天井は竿縁天井で、他の部分の凝った意匠に比べるとやや貧相な感じがする。このあたりの仕事の粗さが文化財指定を戸惑わせる部分なのだろう。
内陣の様子。
内陣の左側の花頭窓のような部分が気になったので寺の大黒さんに聞いてみたところ、かつては説法などのときに住職があの扉から出てくる演出だったのだという。今は壊れていて使っていないとのこと。
この法泉寺、とにかく町指定文化財にしておくにはもったいない物件だ。
(2001年04月29日訪問)