2001年のGW。7日間かけて兵庫、岡山、広島の寺巡りをした。今回はさすがに長い旅になりそうだったから少しは予定を立てて出かけることにした。「岡山の寺を初めて見るのなら塔のあるところを一巡りするといい」という事前情報を得ていたので、塔のある寺を中心に目的地を地図に書き込んでみた。ところがもともと土地勘のない地域だからそれらを巡るのにどのくらい時間がかかるのかよくわからない。
岡山の寺をリストアップしたところで根気が尽きて「ええぃ、広島の寺は宿で調べればいいヤ。」といういつものパターンに。7日間あれば安芸の宮島くらいまでは行けるだろう…、という甘い読みはみごとに外れて、広島県は東の一部に立ち寄っただけとなってしまった。
さて、私は旅から帰ると頭の中でもう一度その行程を反芻してみる。どんな道を走ったか、どんな町を通ったか、どこで何を食べたか、時刻は、天候は、目的のスポットはどんな場所だったか‥‥。それを地図を見ながら頭のなかで再現してみるのだ。それは旅から帰ってからの楽しみでもある。
ところが、この7日間の旅を私はどうしても反芻することができないでいる。あまりにたくさんのスポットを見たため、旅の最初のほうと最後のほうが頭の中でつながらないのだ。断片的には思い出すことができるのだが、この旅を一つの出来事として思い出すことはいまだにできないのである。
この旅行記を書くことで初めて私はその作業をすることになる。はたしてこれで7日間の旅は私の頭の中でひとつにつながるのだろうか。そしてそれを読む皆さんはこれを一度の出来事として把握することができるだろうか‥‥。
初日の行程はとりあえず岡山県を目指す。深夜に出発し明け方には西宮市の付近のパーキングエリアで仮眠。そしてそのまま岡山へ向かえば良かったのだが、突然気が変わって加古川市に立ち寄ることにした。せっかく下調べをしたのにいきなりのコースアウトである。加古川、姫路付近を見て再び高速道路で岡山県へ。当初の目的地である閑谷学校付近に着いたのはもう3時近くになっていた。