静円寺(じょうえんじ)は邑久町の南西のはずれの低い丘陵地帯にある古刹。かつては三十余坊を数える大寺であったという。いまでも3軒の子院が残されている。
現在の静円寺は無住で、寂れた雰囲気の寺だ。境内は広々としている。
山門は八脚門。
静円寺の境内から子院と何軒かの人家からなる集落を見渡すことが出来る。かつての大寺であったころの面影を追ってみたが、容易には感じ取れなかった。
写真は、左から観音堂(?)、本堂、太子堂。
なお本堂はもともと西方の山上にあったものを元禄時代にこの場所へ移したのだという。
本堂の右手には多宝塔と弁天堂。多宝塔は県重文。
境内にはほかに袴腰鐘楼。
山のふもとには大正時代のイラストレーター竹久夢二の生家があり、竹久は幼少時代にこのあたりで遊んだといわれている。
実を言うと、ここ静円寺から、弘法寺、西大寺、千光寺では口述メモが残っていないため、伽藍の名称がよくわからないのだ。半日のあいだメモリの切れたボイスコーダーに向かって一所懸命しゃべっていたのである。
そういうわけで、以後、千光寺までは伽藍の説明にあいまいな点があるかもしれないがお許しいただきたい。
(2001年04月30日訪問)