奥の院エリアへと進む。
左図のS字のカーブを描いた赤い順路の部分である。
だいたいにおいて、日本三大稲荷と称するところには奥の院があり、そこには信者の奉納した鳥居のトンネルや小さなお宮などが点在して、他にはない独特の箱庭的な小宇宙を作り出しているものである。
豊川稲荷ではここまでのところ、巨大な堂宇があるばかりで、箱庭的な宗教空間がなかったので、この奥の院エリアに期待が高まる。
だが、奥の院エリアにも巨大な本堂形式の堂宇が続いているばかりであった。
私は普通は大きな堂が多ければうれしいものなのだが、ここばかりはもう少しスケールダウンしてほしいと願ってしまうのであった。
写真は宝物館。
その先には万燈堂。
弘法堂。「ぐぼうどう」か?
豊川稲荷は曹洞宗だから、「こうぼうどう」ではあるまい‥‥
大黒殿。
境内のいちばん奥まったところには霊狐塚という場所がある。ここが豊川稲荷奥の院の中枢なのであろう。
確かに他の大味な堂宇と違って、すこし細かい装飾がされているようだ。
だが、うっそうとした森と言うにはまだ森は浅く、生えているヒノキや杉は樹齢30~50年程度といったところだし、石灯籠やお稲荷さんも比較的新しいものが多く、霊気ただよう神域という感じではない。
霊狐塚の最深部。
境内はおおむね平坦なのだが、ここだけ溶岩で塚が築いてある。
ここに来てやっと日本三大稲荷の面目躍如といったところか。
奥の院と称する堂。
お札納め所と称する円堂。
なぜか参詣順路の最期のほうにある八脚門。
そして八脚門の出口には極小の三重塔があった。
いままで見たことのある三重塔でも、屈指の小ささ。
豊川稲荷の奥の院部分は、順路にそって参詣する一種の巡礼空間であり、一定間隔で出現する堂宇にも変化がありよく作られているとは思う。
だが、堂宇がどれも新しく大味で参詣者が足を止めるような小さな発見がない。この種の稲荷の奥の院にありがちな「こんな隙間にも小祠がっ!」とか「どこで油揚や灯明を奉納しようか迷っちゃう~」というような楽しみがないのだ。あ、そもそも油揚や灯明、売ってたか‥‥?
平地にあり、裏手も市街地という寺にあってはやむを得ないのかもしれないが、期待が大きかっただけに、奥の院の大味さにはすこしがっかりさせられてしまった。
(2001年10月07日訪問)