犬之墓の辻時計

再建というから、もともと時計があったのだろう。

(徳島県阿波市市場町犬墓)

徳島県の市場町から香川県の東かがわ市へ抜ける途中に「犬墓(いぬのはか)」という陰気な名前の大字がある。

その云われは、弘法大師の道案内をした犬がここで亡くなったとかなんとか、そういう由緒ある地名ではある。

その大字の中央、県道2号の旧道と四つ角にかなり目立つ時計がある。

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この辻は大北集落(集落と言っても今では家は1軒しか残っていないが)への入口だが、大北の山奥には井笠山という山と山頂に神社があり、かつてはそれなりの人口が山中に住んだのではと思わせる、ちょっと雰囲気のある辻なのである。

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その辻に、この時計、である。

同じ県道2号線の旧街道には勝命の辻時計もあるので、当然これも「辻時計」物件であろうと推測された。

本サイトで取り上げている「辻時計」とは、主に昭和天皇の即位や皇紀2600年などを記念して建てられた、戦前のナショナリズムの遺構としての時計台を言う。とはいえ、実際には年代がわからないものが多く、現代のものも除外はしない。

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だが、近くでよく見るとこの辻時計は昭和51年再建と書かれている。時代が新しすぎるのだ。

しかし「再建」と書かれているからには、以前からここに辻時計があったのは確かであり、それはもしかしたら戦前の記念物だったのかもしれないと、想像をたくましくもできるのである。

これ以降のページでは、成立としては新しくて辻時計とは言えないが、辻時計の血を引いていると思われるいくつかの物件を紹介しようと思う。

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聞き込みをしたところ、旧時計台は、柱のようなものの上に時計が乗ったものだったという。昭和8年に集落の農業用水を三面コンクリートに改修したのを記念して作られたらしい。

初代辻時計が壊れたため、近くの砕石場の石を持ってきて再建したとのこと。

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これがその旧時計台の柱。

「犬墓大北非常用費耕󠄁地灌漑セメント水路 紀念碑」と銘がある。

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辻には農業用水の分岐の水門があって、水門を開ける時間をこの時計をみて計るのだという。

(2005年02月20日訪問)

死者の結婚 (法蔵館文庫)

文庫 – 2024/9/13
櫻井義秀 (著)
「結婚」とは何か。山形県のムカサリ絵馬供養、青森県の花嫁人形奉納、沖縄のグソー・ヌ・ニービチ、韓国や中国・台湾の死霊婚など、死者に対する結婚儀礼の種々の類型を事例に、その社会構造や文化動態の観点から考察する。

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