村で伝承などを訊ねると、たまに耳を疑うようなハナシに出会うことがある。これから書くのはそのハナシのひとつ。
犬之墓の辻時計は本当に辻にあって、香川まで通じる県道2号線と、山の集落「大北」へ登る山道の交差点になっている。
その交差点から大北へ登ってみることにした。
乗用車がやっと通れるような山道を登りつめた尾根付近にある地滑り地形にある集落が大北だ。その最高地点からは隣村の
阿讃山脈の徳島県側の集落は多くが東斜面で、西斜面には集落が少ない。たぶん地質的な関係でか、山が東側に地滑りを起こすためじゃないかと思う。
1/25,000地形図を見ると大北には10軒ほどの人家が描かれているが、私が訪れたときは1~2戸の家しか人が住んでいないようだった。
たまたまこの日、村の最後の住人の一人の老婦人に出会った。
偏見かもしれないけれど、阿讃山脈の山村の村人は、吉野川の南側より他所者に対して警戒心が強いような気がする。悪い意味ではなくて。このときも人が来るはずのない寒村に人が来たものだから、がみがみと根掘り葉掘り問いただされ、かなりたじろいでしまった。
でもなんとか打ち解けて話すうちに、村の氏神様を案内しくれることになった。
目印は崩れかけた大師堂だ。
それはヤブの中にあってわかりにくく、車で通っただけでは気付かなかっただろう。
大師堂は内部は消防用のポンプが置かれ、物置きのようになっていて、屋根も抜け落ちているので、修理しなければ遠からず山に還ってしまうだろう。
氏神様はそのさらに裏にあって、去年の台風で木が倒れて境内は荒れ放題だった。
だが、今年は老婦人の弟が亡くなってケガレがあるため境内の清掃もできないという。
そこには3つの小祠があり「三社の神様」と呼ばれているそうだ。近くの山の神社の分祀らしいのだが、早口でしゃべる老婦人の言葉は半分くらいしか聞き取れない。
そのうち老婦人がこんなことを言った。
「この三社の神様があるからこの村では子供が3人生まれても2人しか育たない」
私はなにか聞き間違えたと思い、老婦人に聞き直すと「この村ではこの神様のせいで子供が3人生まれても、1人は死んでしまう」と。
神様が3人しか住めない土地だから、人間が神と同じように3人子どもを為すことを許さないという意味だと思われた。「三社」という数字が、この村の人々の死にに関わっているというのである。
どうやら、大師堂を表に、神様を裏に祀ったための祟りらしいのだが「氏神様のせいで子供が死ぬ」などと平然と言われても、こっちはびっくりしたら良いのか、気の毒そうにしたらいいのか困ってしまう。たぶん、そう話す老婦人も子どもを亡くしたのだろうから。
山の暮らしとはそういう厳しいものだということなのだろうか。平地人の私にとっては簡単には咀嚼できない山のハナシであった。
(2005年02月20日訪問)