伊沢北小のある「亀底」から先には「
もしかしたら、オフロードバイクくらいなら通れるかもしれないが、軽トラとかジムニーでは行くだけ無駄という感じの道になっていた。
道重の集落の登り口に道ばたに大きな岩がある。
ちょっと不安定な感じで、ミャンマーのゴールデンロックを思わせる。
県が立てた案内板があった。
このあたりの地質は和泉層群といって、外帯の地形が押し上げたときにできた凹みの海底に堆積した礫岩、砂岩、泥岩の積み重なった地層だ。ひとつひとつの層は薄いので、このようなひとかたまりの大きな砂岩を産するのはめずらしいというようなことが書いてある。
そして、もうひとつ注目したい記述がある。このあたりの地層は「走向が東へ40度、傾斜が35度」という部分だ。
私は以前から阿讃山脈の徳島側の谷には、東斜面にしか集落がないということが気になっていた。
地図をみても西斜面に集落がない様子がよくわかる。
そこで「走向と傾斜」を当てはめて見てみる。「走向が東へ40度、傾斜が35度」ということは、地層の表面は主に南東を向いていることになる。つまり、東斜面は地層の層理面が露出する「流れ盤」、西斜面は地層の断面が露出する「受け盤」になりやすいということだ。
そう思って、伊沢谷川の対岸(西斜面)を見て見ると、確かに「受け盤」斜面だ。
地層の層理面が山の芯のほうへ下がっているのがはっきりとわかる。このような受け盤はしっかりした斜面になる。逆にいうと、流れ盤は層理面にそって水がしみ込んだりして風化して地滑りを起こしやすい斜面といえる。
このことから、阿讃山脈では東斜面に村が多いことが説明できる。
「地滑りが起きる斜面と、地滑りが起きない斜面のどちらが住むのに良いか?」というと、意外かもしれないが、それは間違いなく「地滑りが起きる斜面」である。
この図は阿讃山脈の谷を東西に切った断面の模式図だ。
地滑りが起きるといっても何十万年という尺度でみたときの話。それに比べれば、人が山を開墾し、やがて山から撤退する活動などは一瞬のことだ。人間から見れば、地滑りによって生まれた平地は、村を作るのにうってつけの地形なのである。
ひとつ疑問に思っていたことがこれですっきりした。
この大石は東斜面の地滑りや崩落で落ちてきたものなのだろう。
ここにはもうひとつ看板が立っている。
それがこの羅漢石。
てっぺんの部分はえらく平らに磨かれているが、人工的な加工の跡ではなく滑り面かと思うので、この岩体も斜面を滑り落ちてきたものなのかもしれない。
露出した面に、キクラゲみたいな凹凸がある。
いったい何が作用して堆積岩にこんな面が生まれるんだろう。
確かに、薄目してみると羅漢の群像のように見えてくる。
(2005年03月06日訪問)