いよいよ本日の目的地浄福寺大仏を目指して市の南西部郊外へと移動を開始する。瑞用寺はその途中で見かけて立ち寄った寺。
山門の左右には八十八箇所のミニ霊場がある。左側の堂には中央に乗り越し屋根がついている。
右側の堂。
総門の薬医門。左右にも小屋がついていて、十一面観音と地蔵が祀られている。
山門を入ってすぐ右側には崩れかけたような宝篋印塔がある。
境内の様子。
総門の先の境内の中心に一間一戸鐘楼門があるが、左右につっかい棒がしてある。三河地震のなごりだろうか。
一間一戸鐘楼門は小型のため階高の関係からか柱上部に貫(ぬき:柱を繋ぐ水平の部材)がない場合が多いし、三間の楼門のように1階に仁王をしまう部屋がないので1階に壁が無いため、いかにも地震に弱そうな建物である。
この門のように1階にも2階にもまったく壁のない楼門を私は「スケロウ(透け透けの楼門の意)」と呼んでいるが、このように貫のないスケロウは左右方向の揺れにはひとたまりもないのではないか。
なお1階の柱が傾いているように見えるが、これは傾いているのではなくもともと曲がった材木をつかって“ころび"をもたせているように見受けられた。よく単相の鐘堂にあるようなやつだ。楼門でその手法を用いているのはあまり見たことがない。
本堂にも左右の2間に外側から“はすかい"がしてある。美的に見てあまりいいやりかたではないと誰しも思うであろう。
本堂は特に耐震的にみて問題はなさそうなのだが、三河地震のすさまじさに対する恐怖が、なりふり構わない耐震工事をもたらしたのであろうか。
庫裏の前には観音堂。内部ではお篭りができるようになっている。
境内にはほかに鎮守社の天満宮。
(2001年11月24日訪問)