続いて、小川町へと移動。吉田町からはちょっと離れているのだが、以前に埼玉県在住のIさんという方から教えてもらって、一度は見に行かなくてはと思っていた辻時計があったので、この機会に立ち寄ることにしたのだ。
場所は、小川町
材質はコンクリートモルタル洗い出し仕上げで、いかにも昭和天皇のご大典物件を思わせるデザインである。
ちょうどY字路の分かれ目に立っていて、左側の道は、古寺方面へ向かう旧道である。
時計は筐体にぴったりと収まっているうえに、ちゃんと機能していて正しい時刻を指している。
このサイトで紹介している他の辻時計たちを見ても、時計のサイズが合っていてちゃんと機能している辻時計は多くはないのだ。
時計のメンテナンスは裏側から行うようになっており、その部分は新しい感じであった。
定礎を見ると、昭和51年改修とあるが、あまりにも強く戦前のオーラを放っていたので、近くで聞き込みを行った。
近くに住む人々はこの辻時計のいわれについてほとんど知らなかったし、関心もないようだった。訊ねると露骨に迷惑そうな顔をする人もいた。そんな中でやっと80歳になるおじいさんに話を聞くことができた。
それによると、そのおじいさんが物心ついたときにはすでに辻時計はあったというから、昭和ヒトケタよりは古いことは間違いない。断定はできないが、ほぼご大典記念の辻時計と見ていいだろう。
80年も前のこととなるとそれを直接見聞きしたという人はもう多くはない。ましてご大典の時点で赤ん坊だったのでは経験したとは言えない。
少なくともご大典の意味を理解でき、辻時計の落成と結びつけて理解できる年齢であったとすれば、現在では90歳にはなっているはずであるから、辻時計のいわれを知る人が簡単に見つからないのも無理はない。おじいさんによれば、辻時計は一度消防自動車が突っ込んで破損し、デザインはそのままに修復したのだという。それが昭和51年の修復だったのだろう。
(2005年09月18日訪問)