信光明寺。岩津天神の参道の途中にあった寺。
寺の名前が4文字の寺にはとりあえず立ち寄ってしまう。
山門は薬医門。
境内は幼稚園の庭になっていて、その先に中門がある。
不自然な位置にある門だ。
この中門は向唐門の薬医門である。
向唐門と呼ばれる門には、本願寺別院によくある平入りの四脚門タイプと、このような妻入りの薬医門タイプがある。妻入りの薬医門は、こうして横から見ると、妻の箕甲落ちの部分が唐破風状に変化したようにも見える門で、どこかアンバランスに感じる。
また、薬医門との関係で見れば、唐門の薬医門は霊廟の中門などにありがちで、人の出入りにはあまり用いられない箇所に作られる。通常の薬医門は、人の出入りの多い場所に作られる門なので、屋根の葺きかたを変えるだけで門の性質が変わってしまうのである。
境内に入るとさざんかが咲いていた。
写真は玄関、兼、庫裏。
本堂。
本堂の前には狛犬がいた。
神仏習合の時代には岩津天神の狛犬だったのだろう。
本堂の左側には渡り廊下で宝形の堂がつながっている。その横には篭り堂のようなものがあった。
宝形の堂の左側には、えらく反りのキツイ観音堂。こういう建物は中部地方に多い気がする。
室町中期の造りを伝える建物で、国重文だそうだが、外から見える柱や貫などの部材にはほとんど古材は残っていないようだ。
ほとんどの材は30年くらいしか経っていないのではないだろうか。
観音堂の横にには「芭蕉天神」という石柱が立っていた。この観音堂にかつて岩津天神も合祀されていた名残りか。
境内には他に水盤舎があった。
(2002年02月11日訪問)