山陽道をさらに西へ進み、三原市へ入る。今回の旅のコンセプトは
神社へと向かう道のかなり手前のあたりに一の鳥居があって、神社にも期待が持てる。
駐車場に車を停め、両部鳥居を潜るとすぐ屋根付橋が見えてくる。
屋根付橋とは、読んで字のごとく、屋根が掛かった橋である。地方によっては「
屋根は雨露をしのぐ働きをするが、実際の屋根付橋は、その目的以上に豪華で贅沢な建築である。実際には、神社の回廊に近い印象の建築物である。
内部から見ても、垂木がきれいにならぶ様はまさに回廊のイメージだ。
屋根付橋についてはまだあまり数を見ていないので、簡単には評価できないが、現時点で一つ気になるのは、今回訪れる広島県東部に多く、また四国の愛媛県にも多いという点だ。広島と愛媛は瀬戸内海を挟んで南北に位置する。
実は、この朝から見てきた茶堂も、同じように中国地方と四国地方を南北に帯状に分布しているようにとらえることができるのである。両者に何らかの関連性はあるのだろうか。いずれも壁のない建築という点が似ているが…。
屋根付橋を過ぎると、右手に社務所(上写真)があり、石段を登ると楼門が見えてくる。
石段を登り、少し広くなった境内に出ると、右手には絵馬堂がある。
絵馬堂とは、絵馬を奉納することを目的に作られたとされる建物である。
この建物は四方が吹き放ちだが、絵馬堂は概して吹き放ちが多く、出入りは自由である。
そして奉納される絵馬は、小屋の中に掲げられる。吹き放ちでありながら、絵画を雨風から守り、また、何よりも紫外線から守っているのである。いままで見てきたところでは、絵馬堂の絵馬は50年から100年は持つようである。もちろん、画材が岩絵の具だということもあるのだろうが、現代の一般的な絵画では考えられないような長い時間を想定した展示施設だと言えるだろう。
拝殿は斜面の石垣の上に載っている。
手前には水盤舎。
本殿は5間×5間の巨大な堂で、拝殿と本殿の間は
実は、写真を見て気付いたのだが、この本殿は床下に部屋があるようで、写真に入口の戸のようなものが写っている。はっきりとはわからないが、木口階段の下を潜り抜けられるようにも見える…。
これはもし今後このあたりへ行くことがあったら、確認したほうがよいだろう。
本殿の横には神庫という建物があった。ぱっと見た感じでは経蔵のようでもある。
他に、斎釜殿というものがあった。
楼門を拝殿側から見たところ。
この楼門の一層の軒の構造は特徴的だ。
柱の上に
覚えていないが、想像するに2階の床は1階の天井を兼ねる、踏み天井という様式だろう。
(2002年08月26日訪問)