東西部稚蚕共同飼育所

昭和40年代後半の特徴をもつ飼育所。

(群馬県東吾妻町新巻)

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祖母島の飼育所を出てから渋川の金井方面で飼育所を探したのだが見つからず、再び吾妻川の上流方向へと戻った。

効率の悪い動きだが、計画を立てていなかったのだからこんなものだろう。ここまでに5ヶ所で飼育所が見つからず、5時過ぎになってきょう最後の飼育所を見つけた。

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斜面に建てられているのだが、宿直室が2階くらいの高さにあって、飼育室とは段違いになっている。

宿直室の地下の貯桑室と飼育室が同平面になり、階段を使わずに桑葉を運び出せたのではないだろうか。

道は宿直室側と、飼育室側の両方につけられていて、クルマを乗りつけることができる。

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建物は大型で、軽量鉄骨造。

宿直室側にも車寄せがあり、桑の搬入だけでなく、雨の日の出勤などにも便利だったろう。

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外壁には環状バックルの斜交いがあり、美観はいまひとつだ。

壁の下部には換気口のようなものがあるのだが、錆びついていて動かすことはできなかった。

換気口だとしたら、あまり洗練された構造とは言えないと思う。

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2階には外部にトイレ、消毒槽がある。

このような外部のトイレは、比較的古い飼育所の特徴でもある。

軽量鉄骨で外観は近代的な印象だが、年代的にはそれほど新しくはないのではないか。

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定礎が見つからなかったので断定はできないが、前橋の富田町の飼育所にあったようなダストシュート状のものがあるので、年代は昭和40年代の末ごろの飼育所ではないかと想像できる。

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ダストシュート状のもの。

鉄の重いフタがしてあったが、開けることはできた。

これは桑の搬入口だろうと思う。

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ダストシュートの下部の様子。貯桑室と思われる場所には換気扇がついている。

貯桑室があったということは、少なくとも飼育所が建てられたときには人工飼料飼育ではなかったわけだ。

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1階部分の飼育室の側壁。

採光の窓もなく、また、大部屋飼育によくある高い位置の換気扇もない。内部の構造はよくわからないが、スチール製蚕箔による大部屋の棚飼いか、蚕箔が移動する機械循環式だった可能性が高い。

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スローガンが掲げられていた。

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内部をのぞいたら洗濯機と乾燥機が見えた。

スローガンにも「完全消毒」と書かれているように、作業者の白衣は毎日洗濯したのだ。

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近くには桑畑が見えた。

桑は株を高めに育てる、「高刈り(たかがり)」になっている。積雪や遅霜の多い地方の仕立てかただという。

榛東村で見た「根刈り(ねがり)」の畑と見比べてみると、違いがよくわかる。

(2008年05月01日訪問)