野殿から西は山上が台地になっていて、広々とした田園と里山が続く。この地方を何と呼ぶのかわからないが、ほぼ旧東横野村があった場所なので「東横野台地」とでも言えばいいだろう。
台地なので水が得にくい地勢だが、水はけのよい火山灰土は桑に適していて、ちょっと車で走っていても桑園が目に付く。
かつて群馬の農村部では、ほとんどの農家が養蚕を手がけていて、桑園はどこまでも果てることなく続いていたものだ。だがいまではそれも昔話になりつつある。
東横野台地には、ひとむかし前の群馬の桑園の面影がまだ残っている。
手入れが行き届いた桑園。5月下旬から始まる春蚕の飼育のための葉が順調に育っている。
桑の株の高さや幹の分岐数、畝の間隔、栽植密度などはその時代時代でいろいろな流行があった。
大きな転換点は「全葉育」(葉だけをもぎってカイコに与えていた飼育方法)から、「条桑育」(枝ごと刈り取って与える方法)に変わったことだろう。飼育方法が条桑育へ切り替わったのは昭和30年代だが、畑での仕立て方や品種がすぐにすべて切り替わったわけではない。子供時代のおぼろげな記憶だが、昭和50年代ごろにはまだ古い管理方法の畑が結構あったように思う。
もちろんこの写真の畑は、現代のやりかた、現代の品種だ。こうした桑園の風景をみて、どういう養蚕をしているかがぱっとわかるようになったらきっと楽しいだろう。
この畑は、株の刈り位置はやや高め、幹はあまり枝分かれさせずに育てているのが特徴のようだ。
畝と畝の間には、落ち葉や桑の枝が敷いてある。落ち葉は里山から集めたものなのだろうか。だとしたらそれはちょっとしたファンタジーではないか。
桑畑越しに越屋根を2つ載せた農家が見える。こうした風景が見られるのも、もう長くはないだろう。
いまのうちにしっかりと目に焼き付けておきたい。
近くでノウサギを見かけた。昼間にウサギを見るのはめずらしい。
ウサギ追いしかのやま、という歌のとおりの田園風景なのであった。
(2008年05月02日訪問)