磯部温泉の訪問記を書いていて、以前に見た鳥追い行事を思い出した。厳密には「磯部温泉の鳥追い」ではなく「新寺の鳥追い」と言った。新寺は磯部駅南側の字である。
現在、いくらネットを検索してもこの行事の様子が紹介されていないので、もう途絶えてしまったと思われる。せっかくなので、在りし日の様子を紹介しよう。
時は1993年の小正月。1月14日の夜である。
当時、東京に住んでいた私は、群馬の小正月行事を見るために帰省していた。この日の予定は、新寺の鳥追いと前橋総社神社の筒粥神事のハシゴ。
磯部に着いたとき、すでに行事は始まっていて、しかもあいにくの小雨の天気だった。
「鳥追い」とは、鳥が田畑の害をしないように呪詛する民俗行事で、子どもたちを中心に行われることが多い。子どもたちが鳥追いの唄を歌いながら、家々を門付けして、お菓子やご祝儀などを集める。
新寺の鳥追いの特徴は、子どもたちのかぶり物である。高崎名物のダルマや招き猫の底をくり貫いて、それを子どもたちが頭にかぶって家々を廻るのだ。
書物によれば、新寺の鳥追いでは家々を廻る前に松飾りなどを燃やしてその火でお清めをするというが、出遅れてその部分は見れなかったので実際に行われていたかは未確認である。また、群馬の鳥追いで歌われる「とーりおいだー、とりおいだー」という唄は歌わないようだった。
参加できるのは15歳までの子どもで、装束などもすべて子どもたちだけで準備するという。
装束で特にユニークなのは獅子頭。米俵のフタと底の部分である「サンダワラ」に布をかぶせたものを2つ用意し、カスタネット状のものを作る。それに目玉のミカンのせて獅子頭とするのである。
獅子頭を扱うのは、その年の最年長の子どもから選ばれる「オヤカタ」。まあ、地域のガキ大将の役得になるのだろう。
このような行列で家々を廻るのである。
左写真の先頭の子どもが背負っているのは「カミサマ」という飾り。
とある家にあがりこんでいく。獅子頭は家人の頭を噛んで厄落としする。書物によれば、座敷で福俵を転がして「千たわら、万たわら」と囃すとあるが、この一行の中に福俵がいた記憶がない。
同じ群馬県の六合村で見た鳥追いでは、ヒモがついたミニチュアの俵をヨーヨーのごとく転がしていた。同じような所作だったのではないかと思う。
福俵と同時に、御幣を持った子どもが「金銀宝はっこめしょ」と囃し立てるという。
この御幣は樫の木の太めの枝で出来ていて、握りの部分にはビニールテープが捲かれていた。
門付けが終わるとオヤカタにご祝儀が渡される。
ご祝儀は最終的には子どもたちで分配するという。
かぶり物はどうやら視界が悪いようで、移動中はぬいで、家に入る直前でかぶっていた。
商店はこの夜は閉店後もシャッターを開けておいて、鳥追いの一行を招き入れる。
宇宙から来た不気味な生物のような獅子頭。
一行が旅館に入ったので、私も一緒に中に入れた。
御幣を振っているところ。
フロントに挨拶しているダルマたち。
この手の祭で大人がこの役を演じると、酒も手伝って時として傍若無人な振るまいに及ぶことがあるが、子どもたちはあくまでも礼儀正しい。
フロントの頭を噛む獅子頭。
宿泊客にもサービス。
招き猫とダルマはこんな構造になっている。
獅子頭は「かぶる」というより、頭に載せているだけ。
このときから20年の歳月が流れた。
写真に写っている子どもたちも、いまはいい大人になって、同じ年くらいの子どもがいることだろう。
(1993年01月14日訪問)