富岡市街地の東部。
上信電鉄の鏑川の橋梁。
その鉄橋の西詰めの橋脚の基礎の部分をみると、石積みの部分がある。
この石積みの部分は、上信電鉄の前身の上野鉄道という軽便鉄道時代のものではないだろうか。というのも、やけにスケール感が小さく作られているように見えるのだ。
反対側から見たところ。橋梁がとても華奢に感じる。
軽便鉄道というのは、現在の在来線のレール幅(狭軌)よりも、さらに狭いレール幅の鉄道だ。現在のレール幅に変わったのは大正時代である。
さて、その橋の西詰めに小さな滝がある。
この滝は、右側はコンクリートで固められているが、左側は自然のままのようにも見える。
水はこのすぐ上流にある曽木神社の境内の湧水が源流で、けっこうな水量がある。
滝の横には、昭憲皇太后(明治天皇の妃)が滝を詠んだ歌碑がある。群馬県民の大半が知らないであろうこの小さな滝を、皇后が歌に詠んだというのがにわかに信じられなくて調べてみた。
明治6年6月23日~24日に、明治の皇太后、皇后が富岡製糸場を行啓されたという記録があり、この歌はそのときに読まれたものと思われる。
碑の文字には「皇后宮御製
歌の意味は、「(人工的に見える)この滝が、人工的に造ったものではないというのが興味深いことだ。その自然のままに(=おのれと)落ちる水音が涼しく聞こえる」とも解釈できる。
この滝の名前は「おのれの滝」というようだが、皇后がその名前を訊いて歌に詠みこんだのか、あるいは、皇后が詠んだ歌が元になってそう呼ばれるようになったのか、どちらなのだろう。
(2008年09月20日訪問)