安坪という集落で稚蚕飼育所を探すも見つからず、近くに
名前からも想像されるように、渡来人が創建したという伝説を持つ神社だ。そこそこの神社だが、訪れるのは初めて。
山門は八脚門で、内部は狛犬が納まっている。「狛犬門」と呼べばよいのだろうか。
構造としては1mほどのところに床がある随身門の形式。床下は、前側には縦の格子があるが、実質的には吹き抜けている。
右側の狛犬。
青銅でできた、異国情緒いっぱいの狛犬だ。部分的にガラスのようなものがはめ込まれていて、生きものというよりもロボットのような造形。紀元前中国の青銅器を思わせるような雰囲気だ。
狛犬はほとんどが鋳物の業者が作るのだと思うが、これは青銅器を得意とする作家が奉納したものではないだろうか。表皮の風化具合をみるとかなり古そうにも見えるが。
左側の狛犬。
左右の狛犬にあまり違いはない。左右どちらにも角のようなものがあり、どちらも口をあけている。
八脚門をくぐって境内に入ると、左手には神楽殿ふうの建物。
もうひとつ、神楽殿っぽいものもある。こちらはどちらかというと、豆まきや餅なげなどに使うものではないか。あるいは、観覧席かも。
拝殿と本殿。
いずれも寛文元年(1661)の建築だという。
虹梁の繰形の渦模様は円に近い螺旋でシンプル。1661年という説明にもよく合致する。
本殿は一間社流造。
左右と背面の壁は彫り物で埋められている。
絵の具は剥離していいるが、元々は極彩色だったようだ。
本殿の虹梁も拝殿とよく似ている。材のカーブもそっくりだ。
本殿の左手には、末社のアパート。
その横には、多胡碑のレプリカがあった。
多胡碑というのは、同じ吉井町内にある8世紀の石碑で、日本三大古碑のひとつとされるもの。この地方が「多胡郡」として制定されたことを記したものだとされる。
以前、羊神社という神社で多胡碑の碑文を写した石碑を紹介したが、こちらは文面だけでなく、字体や碑の外形も似せてある。とはいえ、博物館などで展示するような精緻なレプリカではなく、おおまかに似ているという程度だ。もう少し頑張ってほしかった気もする。
(2008年12月28日訪問)