愛宕神社の境内の北西の角にある資料館。
ここに芝居小屋の資料の展示があるというので立ち寄ってみた。
庭には防空壕とされる展示がある。
これがどのくらい実物に忠実に造られているのか教えて欲しい。とても空襲に耐えられるとは思えないのだ。
私の実家も前橋市街で、昭和20年8月5日の空襲によって全焼した。防空壕は庭を垂直に掘り下げ、大切な家財などを入れて上から土をかぶせたものだったという。建物がすべて焼け落ちても防空壕の中の家財は無事だった。防空壕には人間は入れず、家族は駅南の田園地帯に歩いて避難した。
模型の中は1畳くらいの広さ。
実際には部屋の周りには土嚢か土をかぶせて耐火性を持たせたのだとは思うが、どうも釈然としない展示物だった。
防火用水。
字が右から左へ書かれている。
これは戦前のものだろう。
館内の展示は、芝居小屋や製糸工場の写真、戦争中の生活用品など。特に戦争関係の資料が充実している。
これは愛宕神社の境内にあったという柳座の写真だ。
切妻、妻入りの建物で、おそらく二階桟敷もあったのではないだろうか。
柳座の中の様子。昭和12年ごろだという。
客席が升席なのがわかる。
この六角形のものが焼夷弾と呼ばれるものの空き缶。この中に着火性の高い油が入っていて、燃えながら落ちてくる。その様子は花火のように美しかったそうだ。
私の実家も空襲で焼かれたが、敷地にこの焼夷弾が20発も落ちたという。戦争中は金属の供出で鍋なども取られてしまったので、終戦後、焼夷弾を鍛冶屋さんで叩いて鍋を作ったという。
召集令状。いわゆる「赤紙」と呼ばれるもの。かなり状態よく残っている。
ほかにも千人針など、かつて国民が一丸となって戦争に協力した様子がわかる資料がたくさんある。
かつて前橋にあった「
実は、私にとってはこれが一番インパクトのある展示だった。前橋出身である程度の年齢の人ならば、このデパートを懐かしく思い出すだろう。
私はときどきデパートで買い物をしようとして、売り場が見つからないような悪い夢を見るが、その夢の中に出てくる売り場はたいてい前三デパートなのだ。
(2015年06月30日訪問)