実はこの日は、友人と赤城山中にあったといわれている蚕種保存用の施設の跡地を探しに行ったのだが玉砕し、帰りがけに不動川のマイクロ水力発電を見たのであった。まだ日没までには少しの時間があったので、田口町の橘神社に寄ってみることにした。
ここがその参道の入口だ。2007年に稚蚕共同飼育所巡りを始めた最初の日にここを訪れ、左写真に写っている辻時計を紹介している。
今回、その石段を登って先にある神社へと向かう。
最初の石段から下は利根川の氾濫原で、この石段は赤城山の始まりの斜面なのだ。
石段を登ったところに石灯籠があり、ちょっとした平坦な場所がある。もしかするとここには以前、なにか社殿か堂宇があったのではないかと思わせる場所だ。
そこを過ぎると、平坦な畑の中を参道が続いている。
100mほど歩くと、神社の境内の入口に到着。
石段を登ると、また石段が見える。
境内に入る。
樹のせいで社殿の構成が見えにくいが、手前に切妻の拝殿と石の間があり、本殿は後ろの山の斜面の石垣の上に建っている。
「分離型八幡造り」とでも、言ってしまいたくなる雰囲気だが、一応、切妻平入りの本殿の後ろに、流造りの本殿があるという分類をしておこう。
もっとも、この橘神社、明治末に現在の名前になったが、それ以前は八幡宮だったそうだから、あながち間違いでもないのだ。
石の間と本殿はレベルが違うため、建物は接合しておらず、本殿の敷地への石段に繋がるようになっている。
本殿も樹が邪魔でよく写真が撮れない。
暗くなってきているせいもあるが。
つづいて、本殿の裏手の森へと進んでいこう。
橘神社へ来たら、忘れずに裏手の福守さまにもお参りしたい。この福守さまは妓楼の商売繁盛や、遊女の性病除けの御利益があるとされ、そのむかし前橋が製糸で繁栄したころ、花柳界の信仰を集めていた。橘神社の末社とはいえ、お参りする人はこの末社のほうが多かったといわれるくらいなのだ。
いまは建物の中に、左から福守さま、雷電神社、水分神社の三柱が合祀されている。
左奥に見える黒々としたイチモツが福守さまの御神体である。
利根川から桃の木川を取水する堰に流れ着いたのを関所守が拾い上げて祀ったという伝説がある。
中央の雷電神社には馬用のわらじ(?)がたくさん奉納されていた。
右側の
この日は町内の集会かなにかがあったようで、社務所に人が集まっていた。
(2013年07月07日訪問)