昨年の雨季に一度訪れたことのある、タッピンニュパゴダ。そのときはパゴダの前にある展望台から、モーラミャインの町を眺めただけで、パゴダには立ち寄れなかった。
再訪になるが、実質的には初めての参詣と言っていい。
タッピンニュパゴダの境内は、尾根伝いに南北に200m以上の細長い形でそこに仏塔やお堂が建っている。その南側から入る。
先ほどまでちょっとした段差でも苦しかったが、飲み物を飲んで休憩したのがよかったのか、石段を登る足取りも軽い。
石段の欄干は灯籠のような奇妙な形をしている。
小さな龍が造形されているのがかわいい。
仏塔のシルエットは、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダと似ている。
その仏塔の周りには小さなお堂が並んでいる。
シンウーパゴ堂と、鐘撞き。
このへんは定番。
こちらは、仏陀の前に二人の女性がかしずいており、一人が鉢を捧げ持っている。
スジャータと乳粥のエピソードか。
釈迦が苦行の果てに力尽きたとき、村の娘スジャータから乳粥の施しを受けて体力を回復したという場面。実際にはスジャータは裕福な娘で、下女に指示して釈迦に乳粥を与えたとされている。
スジャータ堂のあたりからは東側の景色がよく見える。
タッピンニュパゴダのある場所は、モーラミャイン丘陵の尾根でもっとも高い場所のようで、東西両方の展望がある。
仏塔と対になるタコンタイ。
ロケットみたいなシンプルな形状。
これは、これから行こうとしている尾根の北側の景色。
まだいくつかの仏塔があることがわかる。
これはきょう来るときに通ったパアン・モーラミャイン街道方面の景色。
中央の緩やかな丘の上に大きなパゴダが見える。ダッキ山パゴダだ。パアン・モーラミャイン街道はこの丘の横を通っていて、いつも気になっているのだが、丘の上で様子が見えやすいゆえに後回しになってしまっているパゴダだ。いつかは行くことになるだろう。
右側の奥にうっすらと見える大きな山が、カァヨン洞窟山で、来るときに寄ったセィーディードゥ僧院は山の裏側になる。
でもその前に、いったんパゴダの石段を降りなければならない。このように、パゴダを経由しながら他の堂宇を見るとわかっているときには、サンダルを地面に置かず、手に持って移動すればよい。
石段の下には、ミャンマーのスフィンクスとも言われる妖怪、マヌーシアがいる。これについては去年の記事で紹介済み。
では本堂のほうへ入っていこう。
道路との位置関係、建物の外観などがさっき立ち寄ったウカンディ寺院とよく似ているため、こうしてサイトの記事を書きでもしないと、記憶がごっちゃになりそうだ。
内部はウカンディ寺院とは異なり、すっきりしている。
本尊は総天然色の初転法輪仏。
釈迦ははじめ修行仲間と一緒に苦行を続けていたが、釈迦がスジャータから乳粥を受け取ったのを見て、釈迦が堕落したと考え、去っていった。
その後、釈迦は悟りを開き、修行仲間だった五人に初めての説法をしたというその場面。
尾根をさらに進んでいく。
本堂の横は公園になっていた。若い男の子たちが休んでいる。
公園の遊具はどれもフィットネス用具としか思えず。ピンウールィンの公園で見たのと似ているが、完全に同一の製品ではない。
その先には、四人の神様に囲まれた仏陀の立像。
印相は右手で斜め前を指さし、左手では手のひらを下に向けて突き出している。
次のエリアへ行くためにまた石段を降りる。
体力が回復してきたとはいえ、登り降りが多すぎるぞ、この寺。
次のエリアにはまた階段。
また登る。
ここは、W字型に7体の仏像が並んでいる。こうした仏像群は、
托鉢行列仏の先頭に仏陀がいて、その橋になっている僧もいずれ仏陀になるだろうと予言する場面は、同時代に2人の仏陀がいなければ成り立たない。
7人の配列を下図のような順番で紹介してこう。
⑦ ⑤ ③ ①
⑥ ④ ②
これは、①の仏陀。
②の仏陀。
これは、釈迦がムチャリンダの樹の下で瞑想をしたとき、龍が嵐から釈迦を保護するために自ら進んで雨除けになったというエピソードと思われる。
ということは、これが釈迦なのか。
③の仏陀。
④の仏陀。
⑤の仏陀。
⑥の仏陀。
⑦の仏陀。
他の6人がすべて西を向いているのに、この一人だけは南側を向いている。何か意味があるのだろうか。
過去七仏庭園から先にも、またパゴダがあった。
ごめん、もう石段無理。
いつかまた来ることがあれば必ず登ると誓いを立て、ここはスルー。
パゴダの西側は展望台になっていて、モーラミャインの市街地を一望できる。
奥に見える川はサルウィン川だ。
こんな木陰で昼寝したら気持ちいいだろうな。
だが、寺町巡りの最中にそんな安らぎはありえない。どんなときでも「寺町巡り」は、体力のすべてをかけた戦いなのだ。
(2015年04月19日訪問)