土曜日、きょうは一日自由に時間があるので少し遠出するつもりである。予定としては、パアン市からAH1号線を南東へ60kmほど進み、以前に訪問したプゥテキ僧院を再訪。そこからジャイン川の右岸(北岸)を西進してザタピン町まで出て、パアン・モーラミャイン街道でパアンに戻ってくるというつもりだ。ほぼ三角形の移動になり、寄り道一切なしでも全走行距離はおそらく150kmは越えるであろう。
プゥテキ僧院再訪は前々から計画していたもので、もう一度じっくりタマゥの祭壇を見てみたいというのと、例祭の日取りを聞き取るつもりなのである。だがその先、ザタピン町までのルートは思いつきだ。先週ジャイン川の左岸(南岸)がけっこう面白かったので、その対岸も通ってみたくなったのである。また、この小旅行によってパアン、チョンドウ、ザタピンからなる三角形のエリアをだいたい把握することになり、これまで「線」だった土地勘が「面」へ変わることになるだろう。
最初に向かったのは、ターマニャヒルという聖地を擁するウィンセイン村。この村はターマニャ僧正を慕って集まった2万の信者が住み着いてできたという町。ターマニャ僧正は平和、不戦を唱えたことから、軍事政権からすれば面白くない存在だったのか、AH1号線はこの村を迂回するように建設されている。
今回はウィンセイン村への最短ルートを通ってみることにした。ゴム園の中を通る未舗装の道路で、めったにここを通る人はいないであろう。
途中、丘の上に小さなパゴダが見えたので、立ち寄ることにした。
仏塔は真っ白でシンプルなのに対して、タコンタイは赤と金で塗られたかなりゴテゴテした意匠。
パゴダの北側には講堂と思われる建物があった。
当サイトではパゴダと接合した礼拝施設を「パゴダ拝殿」と呼ぶことにしているが、これはかなり隣接しているが接合しているとはいえない。よって単独の講堂とした。
講堂の天井にはたくさんの仏旗が下がっていた。
こうした装飾は何度か見てきた。
講堂のさらに北側には僧房。
鐘つき柱はパゴダの敷地から突き出したタタキの上にある。
道の反対側には、ちょっと気持ち悪い穴だらけのパゴダがある。
ナーガ洞窟僧院で見たパゴダほどではないけれど。
小さな穴にそれぞれ仏像がはめ込んである。
基礎は自然の岩山をイメージしたゴツゴツした造り。
ゴムの林の中に、ボールト屋根の小さな仏堂が3
つあった。
3つの仏像をすべて見てみよう。
日本で言う、施無畏印の印相。
以前にミャンマー人から「死を怖がらなくていいと諭すポーズ」というような話も聞いたので、たぶん施無畏印でいいのだろう。
これも日本で言う、禅定印であろう。
また施無畏印。
1つ目の仏像と同じだ。
この3体を関連させて何かを表しているのか、それとも、単なる偶然なのかはわからない。
八曜日の守り本尊。
道行く人のために飲み水を提供している壺。
こんなふうに模様が描かれて売っているものも多い。
この水が本当に飲めるのかは、よくわからない。現地人がこの水を飲む場面をまだ一度も見たことがないのだ。
(2015年05月02日訪問)