チェートン寺院

シュエダゴンパゴダ東参道にある水上寺院。

(ミャンマーヤンゴン管区ヤンゴン)

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ヤンゴンの日本大使館のあるあたりから真西方向へ伸びる道。シェダゴンパゴダの東参道である。

境内の外にも仏具店などが並ぶ、シュエダゴンパゴダの門前町ではもっとも充実している通りだ。

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その参道の途中に、チェートンペーヤージーパゴダという寺がある。

2014年に仕事でミャンマーを訪れた最初の日、ホテルからの朝の散歩で山門の前まで来た寺である。空港からのタクシーの車窓から見たのではなく、自分の足で歩いて訪れた寺としては、ここが最初だった。

だがそのときは仕事の前のちょっとした空き時間だったし、まだこの国に慣れていなかったので、山門の前までで引き返した。その寺にあらためて参詣することになったのである。

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シュエダゴンパゴダに隣接する寺はいくつかある。

だが観光ガイドを雇うと、シュエダゴンパゴダがあまりにも立派なため、わざわざ横にある小さな寺までは見ずに次のスポットへ移動してしまうのが普通だろう。自分の足で歩くとか、よほど強固な意志がないとこの寺には参詣できないのではないかと思う。

山門の中に履物預け所があるのでここで履物を脱いでいく。

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境内の敷地のほとんどは池になっていて、本堂へは橋がかかっている。

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放生用のデッキではないか。

ただし近くでは放生用の魚は売っていなかった。

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橋の途中から枝分かれがあり、浮御堂があった。

祀られているのはシンウーパゴ。めずらしい左向きだ。

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本堂に入ると、金色の神さまがお出迎え。

欄間には鉄筋を曲げて作った説話画が並んでいる。

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この鉄筋説話画がこの寺の特徴ではないかと思う。

手間がかかっているわりには高級感もなく、観賞する立場からもあまり見やすいわけではないため、かなり微妙な展示物なのだが、とにかく力は入っている。

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本尊は巨大なガラスケースに納まっていた。

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その前には巨大な金色のマント仏。

この寺、金色の像が好きだな。

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本尊は大仏クラス。

塗り直しをしているようで幕で覆われていた。

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では本尊の周りを見ていこう。

左側には、仏足石の図解があった。仏足石とは「お釈迦様の足跡」である。

お釈迦様は超人であるため、身体に常人とは異なる特徴があるとされる。足の裏でいえば、足の指の長さが揃っていて、しかも長い。土踏まずがない。千輻輪(せんぷくりん)と呼ばれる曼茶羅のような模様がある、などの特徴である。

その千輻輪にならぶアイコンすべてについて解説がされているようだ。ミャンマー語なので読めないが・・・

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パゴダに付属するタコンタイ(石柱)。

ゾウの上に載っている石柱や、地球儀の上に載っているものはときどき見かけるが、地球儀の上のゾウの上に載っているのはめずらしい。

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上部の造りもくどい。

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本尊の周りは、聖人紹介所、説話ジオラマ展示場になっている。

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白のガンダルフこと「ポーポーアゥン」と、おっさんこと「ボーミンガウン」。

この二人は師弟関係といわれていて、よくペアで祭られる。ナッの行者である。

金色のボーミンガウンは珍しい。

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すぐ近くにはリアルカラーバージョンのおっさんもあった。

タバコが好きだったとされ、タバコをふかす姿で描かれることが多い。その風情はどう見ても聖人のそれではなく、ガラの悪いおっさんにしか見えない。

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タバコに火をつけて、お線香のように奉納できるようになっていた。

似たような奉納装置を、日本の最上稲荷でも見たことがある。

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ミャナンヌェ。宝の国「タイ」を守護する神さまといわれる。以前、タイネンシンという神さまを紹介したが、たぶん同じ機能の神さまであろう。

タイとは、パゴダを建てるときに埋蔵する金銀宝石など収めた結界のことだというような話も聞いた。王様に宝を永遠に守るよう命令され、死んだあとも怨霊になってパゴダを守る人なのだという。また、怨霊ではなく人間に転生することもあるが、美人に生まれ短命であったり、障害者として生まれることが多いという。

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本尊の裏側はジオラマコーナー。

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このジオラマコーナーまで金ピカ。

金色の苦行仏。

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釈迦が悟りを開いたあと、行商人が食べ物を寄進し、髪の毛を得るという場面。

その髪の毛はシュエダゴンパゴダに収められたという。

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釈迦暗殺を狙って仕向けられた暴れゾウがおとなしくなるという場面。

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人の指を切り落として首飾りを作るという邪念にとりつかれた男が、釈迦に会い自分の過ちに気付くという場面。

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釈迦の成功を妬んだ他の宗派が、遊女を雇って釈迦の子供を懐妊したというデマを流すが失敗するという場面。

遊女はお腹に詰め物をしていたが、その詰め物を縛っていたヒモが切れ、たくらみが露呈する。

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遊女の詰め物のヒモを切ったのは、ネズミだったという。

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釈迦が一緒に修行した5人の修行仲間に、最初の説法を行う場面。

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通訳さんによれば、これもジオラマ?

釈迦が悟りを開いたあと、ある村を訪れたとき、その村は貧しくて釈迦を迎える玉座を作ることができなかった。しかたがなく農民たちは粗末なムシロを敷いて釈迦を迎えようとしたところムシロが玉座に変化した、という場面とのこと。

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釈迦の二番弟子のシンティワリ。母親の耳から生まれたという超常的な人物。彼の全身から発せられるオーラはあまりにもありがたいため、彼の姿を見ると誰もが喜捨をせずにはいられないほどだったという。だがシンティワリは釈迦よりも先に亡くなってしまう。

あるとき500人の信徒の団体が釈迦を訪ねることになった。その人数の食事の準備は釈迦の寺にとっても容易ではなかった。そこでシンティワリ故人が使っていたウチワと杖を持って托鉢に行かせたところ、見る見る布施が集まり、500人の食事を準備できたという。

(2015年05月06日訪問)