きょうは、ついでではなく「機屋を探す」という明確な目的を持って、エインドゥ町の路地に分け入ってみた。
少し走り回るうちモン僧院の北側の道で、機業場が立ち並ぶ場所を見つけた。この通りはほとんどの家が機屋というすさまじい機屋通りなのだ。
左写真を見ると、カレン州の普通の住宅街のようであり「ここが機織りの町?」と思われるだろう。せっかくなので、カレン州で機屋を見つけるときのポイントを教授しよう。
まずこの家、レンガ造の二階屋でカレン州としては立派な部類の家屋だ。よく見るとその1階の玄関先に
おそらくこの家は2階がオーナー家族の住居、1階がすべてぶち抜きの作業場で屋内にも織機が並んでいると思う。台数を増やしていくうちに屋内に置ききれなくなって玄関先にもはみ出しているのだ。
次はカレン州の伝統的な高床の木造民家。
このような民家では、床下の土間に織機が置かれている場合が多い。下は土でほこりっぽいし、昆虫などが布に入ったりしそうで心配になる。だが屋内よりも光線が入るし、作業には向いているのだろう。
日本でも土間の機業場を以前に紹介した。
この家は通りに面した場所で雑貨屋をやっている。
だが敷地の奥に小屋があり、よく見ると織機が並んでいるのに気付く。
とまあ、車窓からもこうしたあたりに意識を向けていれば、カレン州で繊維工場を見つけることができるというわけ。
この繊維通りでも最も規模の大きい機業場がここ。
「သစ်လွင်ယက္ကန်းကုန်ထုတ်သမဝါယမအသင်း」とある。「ယက္ကန်း(ヤッカン)」は「高機」の意味なので「サイッ・ルウィン高機生産組合」みたいな名前か。
大きなドラムに巻かれた白い木綿糸が並んでいる。
これはミャンマー式産業手機の特徴的なもので、高機のタテ糸を巻く
日本でももちろん産業機ではタテ糸はドラムに巻かれているが、手織りの高機でここまで大量のタテ糸を取り付ける例はないと思う。
入口には出荷を待っている布がたくさん積まれていた。
色合いから見て、レディースの伝統的上着インジーのための布のようだ。カレン州あたりで作られているのは、太めの木綿糸で粗めに織られたぼってりとした感じの布である。
機場を見せてもらうことにした。
これまで見た事がないくらい多くの高機が並んでいる。
ミャンマーの織物産地アマラプラでもここまでの規模の機業場はそうそう無いと思う。
きょうは祝日なので人が少ないようだが、それでも1/3くらいの機で仕事をしていた。従業員は出来高払いなのだろう。
織機は広幅の高機で、先に説明したように
シャトルは手でヒモを引くタイプの飛び
この機場では男性の織り子もいる。
織りかけの布。
上着のための布と思う。蛍光染料を含むような色鮮やかなデザインが多く、日本人としてはちょっと子供っぽく感じてしまうが、南国ではこうした鮮やかな柄がよく合うのだ。
木綿糸はミャンマー国内ではほとんど生産されておらず、おそらく染色もしていないのではないか。ほぼすべてが中国等からの輸入であろう。
やはり上着用の布。
柄が細かいので糸綜絖の枚数も多め。
これは布に短い糸を織り込んで、花びらのように膨らませる装飾をしているところと思う。
織機では通常は織り手側が布の裏になるようにかけるが、これはたぶん織り手側が布の表になる。
手前の布巻(
折り込む花びら糸はあらかじめ一定の本数で切ってあった。
ドラム
整経機のような特別な機械があるわけではない。高機の手前にクリールを立てて、高機の後部に直接整経していくのだ。つまり織機が整経機も兼ねているという合理的な機構なのである。
クリールには18段╳5列=90本のボビンがセットされている。
見たところ、ドラムには15回巻いているようなので、タテ糸の本数は90╳15=1,350本ということか。
これは整経に使われる
タテ糸がドラムに均一な幅とピッチで巻かれるようにそろえる道具だ。
最初に高機にタテ糸を取り付けるときには、柄にあわせ正確にタテ糸を綜絖に通さなければならず、根気と時間が必要な作業が必要になる。2回目からはたぶん以前にかけてあるタテ糸に新しいタテ糸を結ぶのではないかと思うが、それでも1,000回以上糸を結ばなければならない。
そのため一度に大量のタテ糸をセットできれば綜絖通しの時間が節約できるわけで、ドラムでセットできる高機はその点でも合理的なのだ。
機場の奥は織り子たちの寮になっていた。
織り子たちは田舎から出てきて、この寮で共同生活をしながら働いているのだろう。女の園だ。
続いて、道の反対側にあった別の機業場も見学させてもらった。
こちらも上着用の布を作っている工房のようだ。
手前の女の子はパオ族(カレン民族の一部族)の旗のデザインのTシャツを着ている。パオ族は黒を基調とした衣装を身に着ける民族だ。彼女はロンジーも女の子にしては地味な黒いロンジーなので、パオ族なのだろう。
単純なタテ縞が長く続く布では、飛び杼を勢いよく動かすことで、かなりのスピードで織ることができる。
飛び杼は日本では「バッタン」と呼ぶこともある。織るときにバッタン、バッタンと音がするからではなく、フランス語で「飛び杼」が「
織り子は若い子が多かった。
ミャンマー人の年齢はわかりにくいが、たぶん17~18歳くらいではないかと思う。
親元を離れての寮生活だが、みなおおむね笑顔で働いている。先進国からみると手機の織り子は低賃金労働だが、こうして明るくお金を稼げるというのはある意味幸福なのではないか。
彼女のボトムズはパジャマじゃないのか?
ミャンマーの女の子って、けっこうパジャマっぽい服装で外を出歩いているんだよなあ。
(2017年01月04日訪問)