小松島市から国道55号の旧道(現県道130号)を通って阿南市へ向かう途中、那賀川の鉄橋を渡る手前に駅の入口のように見える通りがある。この街道は何度も通ったことがあるので、私はこれまでも疑うことなくここは駅なのだと思っていた。
だがここはかつて阿南鉄道の古庄駅があった跡地なのである。
那賀川上流から切り出された木材を羽ノ浦で加工し、この駅から鉄道で運び出していたのだろう。だがこの路線も戦前には廃止され、戦後一時期旅客線として復活したらしいが1961年には廃止されたという。現在、徳島県の県南へ伸びるJR牟岐線は、古庄の一つ手前の羽ノ浦駅から東に反れて元の阿南鉄道とは違う経路を通っている。聞くところでは県議だが国会議員だか知らないが、羽ノ浦の東部の出身の議員がいて、自分の家の近くに駅を作るためわざわざ路線を変更して現在の牟岐線を建設したとのこと。
しかしそう考えると、すでに駅がなくなってから40年以上の年月が流れている。にもかかわらず、この駅前っぷりはどういうことなのだろう。まるで時間が止まってしまったようだ。
古老に話を聞くと、現在の駅前通りは木材を積み下ろしするトラックの作業場だったのだそうだ。駅が無くなったとき、その土地の所有者がはっきりせず、道路にも宅地にもならず、広いまま残ってしまい、今では商店街の買い物客などが駐車するためのスペースとして活用されているという。
今でもこの場所のことを地域では古庄駅前と呼んでいるということである。
駅があった敷地は地図をみれば値割りでいまでも想像ができる。
写真右手の公民館の建物の場所にかつて駅舎があり、写真左手の倉庫群の部分はホームだったのだろう。
この公民館から北へ伸びる道は、かつて線路が敷かれていた場所だ。
さきほどの高田児童公園もこの線路道に面している。
道端で見つけた当時のレールの痕跡。
その駅前通りの一角に小さな公園がある。
公園というよりも神社の境内に遊具が設置されているというのが正確だ。神社の名前は野神神社。
公園の遊具は全体的に古びているし、日曜日だというのに子どもの気配がまったくないさびしい公園だ。
滑り台から見ていこう。
当サイトの分類では開放デッキ型の鉄製滑り台ということになるが、滑降部の材質に特徴がある。
なんと、滑降部が塩ビパイプを敷き詰めて作られている。パイプの本数は13本。
しかも単にパイプを並べてあるだけでなく、上面が平らに潰してある。
熱で加工したのだろうか。
滑降面は一部に穴が開いていて、とても滑りたくなる状態ではない。手すりのペンキもいたるところで剥げて錆が浮き始めていた。
徳島県内では類似の構造の滑り台を何度か見たことがあるが、どれも滑降面にステンレス板をかぶせて再生された台であった。このように再生されることもなく塩ビパイプむき出しのまま放置されている台は貴重だ。
せっかくだから念入りに写真を撮っておこう。こういう滑り台は今ここで記録に残しておかなければ、絶対に後世には伝わらないであろうから。
デッキに登ってみると、左側に公園の塀があるために圧迫感がある。
タラップの様子。
かつてはたくさんの子どもたちがここを登ったのだろう。タラップの中央が磨り減っている。
こうして磨り減るまで遊んでもらった滑り台の人生も、もう終わりを迎えようとしている。もう一度この公園を訪れることがあるかどうかははなはだ怪しいが、そのときにはもうこの滑り台はなくなっているかも知れない。そう思うと子供たちのいないこの公園がことさらに寂しく感じられた。
他の遊具は、ブランコ、雲梯、ジャングルジム。
ブランコは敷地スレスレに設置されているため、大きく漕ぐと歩道まで出てしまうだろう。
ジャングルジムは上部にアーチがあるおしゃれな構造。
ついでに神社も見ておこう。
社殿と思われるのは、鳥居と石製の祠のみ。
これが本殿。
本殿の後ろの樹はムクノキだろうか。
現在、この神社の遊具はすべて撤去されてただのさびしい神社になってしまっている。
(2004年03月14日訪問)