鳥取城ははじめ久松山の山上に築造された山城だったが、不便なため、やがて山麓の平城(平山城?)へと移行した。
そのため、本丸の石垣は山頂と山麓の二ヶ所にあり、「山上の丸」と「山下の丸」と呼ばれている。
山下の丸。
山城から平城への移行の過程がわかる史跡として、国指定史跡に指定され、現在は公園になっている。
その公園の一角に
明治40年の築で、大正天皇行幸の際の御座所として使われたという。
今回の旅の初日に、松江城内で興雲閣という建物を見たが、それと建築年代や規模、建築された経緯がよく似ている。
設計したのは赤坂迎賓館を設計した片山
建物は二階建てで、玄関は北西。大ざっぱにいえば北側が玄関で、居室は南に並んでいる。
北面にはシンプルな車寄せがあるが全体的には意匠は質素。そのかわり、南側に庭園を配し、建物の南面に装飾を集めている。
赤坂迎賓館も北側が玄関になっている。松江の興雲閣が建物の正面に玄関を配置したのとは設計思想からして違う。
建物に入って気付くのは、とても贅を凝らした洋館だということ。擬洋風というレベルではなく、詳細に作り込まれた印象を受けた。
階段は桧造りで、欄干の装飾も豪華。
階段は2つあるが、ひとつは玄関の横にあり、玄関から入ると180度戻る方向に上るようになっている。
玄関を入ってすぐホールと大階段があるという設計ではなく、あくまでも南向きの部屋が中心で、階段は北側の日当たりの悪い場所に配置する質実剛健な設計。
2階へ上がってみる。
建物の東側は天皇の御座所になっている。
2つ目の階段は、建物の西側の塔屋の中にあるが、こちらは立入禁止になっている。
この階段は木造の螺旋階段。
さざえ堂的というか、かなりがんばって造ったものだと思う。
やはり桧造り。
おそらく強度や耐震基準などの関係で人を登らせないようにしているのだろう。
塔屋の天井方向。
3階はない。
2階の物置とされる部屋。
名前は物置だが、暖炉もあり実際は人を泊まらせる部屋として使えるだろう。
2階の寝室とされる部屋。なんと暖炉の前が畳敷き。
寝室の灯。
トイレ。
寝室からも入れるし、物置からも入れるようになっている。
なんか、落ち着かないトイレだなあ。
天皇の使用するトイレは、他所でも見たことがあるが、やっぱり便を回収できるような作りになっていた。
食堂。
アールヌーボー調の瀟洒なシャンデリアが素敵だ。
部屋の南側は天井までガラスが嵌まっていて、とても明るいし、庭園を見渡すことができる。
この建物の真骨頂はこの南側にあるのだろう。
外観は水平線を多用したネオルネッサンス様式建築の特徴がよく出ている。国重文だが、国宝に近いほうの国重文であろう。
庭園はもと城内にあった庭で、江戸末期の作。宝隆院庭園と呼ばれる池泉回遊式庭園である。
(2005年05月03日訪問)