龍満寺

竜宮門に接続した回廊がある。

(兵庫県新温泉町諸寄)

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山陰本線の車窓から回廊が見えると島根在住の弟から聞いていて探しに来た。

ただ県境付近で車窓から見えるということしかわからず、見つけるのにかなり手間取ってしまったがなんとかたどり着くことができた。

鉄道橋の下から見える竜宮門と回廊、とても魅惑的な風景だ。これを知ってしまったら、訪問せずにはいられないだろう。

伽藍配置は、当サイトの定義するところの「妙応寺型」。別に学術的に妙応寺がその始まりというわけではなく、単に当サイトにおいてたまたま最初に登場した寺だからだ。妙応寺も東海道線から見えるという点で、この寺とは似た雰囲気がある。

寺の名は龍満寺、宗派は曹洞宗。

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山門が竜宮門というのがひとつの特徴だ。妙応寺型伽藍とは、通常の寺のように①本堂と②山門を持ち、左に③禅堂、右に④庫裏を配してその4つの堂宇を回廊で連結するものだ。ほかに⑤鐘楼を右手前角、⑥湯屋・⑦東司を鐘楼と庫裏の間に配置すれば、これで7つの堂となり、当サイト的には妙応寺型七堂伽藍の完成形とする。教科書に記述される禅宗の七堂伽藍とはかなり異なるものである。

そもそも「本堂」という型式の仏堂自体が檀家寺的なもので、学校の歴史の教科書や建築史の資料ではほぼ触れられていないので、その本堂を基準とした回廊構造というものも、あらかたの研究者には大した関心を呼ぶものではないのだろう。当サイトの独断による呼称だ。

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山門の左手前に小さな地蔵堂がある。

その中には化粧地蔵が祀られていた。蛍光色的な色の組み合わせで、なかなかに主張の強い化粧地蔵だ。

今回は島根・鳥取の旅といいながら、この寺は県境を超えた兵庫県。

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化粧地蔵は京都府の日本海側に多く、宮津、舞鶴、小浜あたり、つまり丹後・若狭地方がその中心地である。

この地はそこからはだいぶ西になるが、日本海の切り立った海岸線が続く、似たような文化の場所なのだろう。

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他に山門の手前の右手には経蔵と鎮守社がある。

なぜこれらの堂宇が回廊の外に配置されているのかは謎。回廊内部の左手(禅堂の左側あたり)に配置されてもおかしくない構成要素だ。

もしかすると境内に幼稚園を建設したときに移築されたのかもしれない。

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経蔵の内部は輪蔵になっている。

輪蔵とは、経巻棚がターンテーブルになっていて、360度回転するタイプの経蔵である。

祀られるのは傅大士(ふだいし)普建童子(ふげんどうじ)普成童子(ふぜいどうじ)。一般的には経巻棚の手前に置かれることが多いが、ここでは経巻棚の基壇部分に納められていた。

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経巻棚自体は新しい。

回転させるための取っ手はなく、床が円形に切り欠いてあるので、参詣者が積極的に回転させるものではないのだろう。

以前に岐阜の安国寺で見た輪蔵と似た点が多い。今後こういう輪蔵を「安国寺式」とでも呼ぼうかな・・・。

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ほかに回廊の外には土蔵がある。階下は車庫になっているのだろう。なかなかの機能性。

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では回路の中へ入ってみよう。

竜宮門に回廊が接続する場合、中からみるとどんな感じに見えるのか気になると思うが、こんな感じだ。

正直、中からはあまり竜宮門テイストが感じられない。

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裏側から見たところ。

う~ん、何度見てもやっぱりアドレナリンが出るね、回廊寺院は。

写真の左側から、書院(玄関付き)、鐘楼(奥に土蔵)、竜宮門、幼稚園となっている。

本来であれば、輪蔵、禅堂が幼稚園の場所にあっておかしくない。

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写真の左側から、幼稚園、本堂、書院となっている。書院の裏手に別に庫裏がある。

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本堂は石州瓦葺き。禅宗っぽい本堂だ。たぶん正面の戸の中にわずかな土間があり、そこで下足を脱いで上がるようになっているはずだ。

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本堂右側の書院。

もしかすると元々は庫裏だったのかもしれない。ちょっと見えにくいが現在の庫裏は奥にある。

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鐘楼。

妙応寺型回廊では、多くの場合、鐘楼が右手前の角に配置され、雨の日でも濡れずに回廊の中から鐘を撞いたり、鐘楼に登れるようになっている。

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回廊が全周できなくても、角に鐘楼があるだけでかなり締まった印象になる。

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鐘楼の中から回廊を見たところ。

鐘楼と書院を結ぶ回廊が新築されたものだとわかる。

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鐘楼へは梯子で登るようになっていた。

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本光寺、龍満寺と連続で回廊寺院を見たことになる。なんという幸せ。なんという回廊密度。

倉吉の定光寺と合わせれば、1日で3ヶ寺の回廊寺院ツアーも可能となるだろう。

(2005年05月03日訪問)