前回の山陰訪問の2日目、清水寺を訪れたのだが、雨のため三重塔がクローズしていて見学できなかった。そのため清水寺にリベンジ。
とはいえ、午前中に伯耆大山の登山をして疲れたところに、午後の寺参りである。参道の長い山寺は地味にこたえる。しかも気温はかなり上がり、普通に歩いているだけでも汗が出てくる気候なのだ。
あまりにもの暑さと疲労のため、本堂などにはいっさい立ち寄らず目的の三重塔を目指す。汗でシャツはびしゃびしゃ、アゴからは汗が止めどなく滴り、プールで泳いできたの?というような状態で三重塔へ到着。
だが、なんと今回も三重塔はクローズしていた!!
本堂まで戻って尋ねると、三重塔拝観は土日だけで平日は開かないとのこと。
「前回、日曜に来たのに雨でクローズしていたんです、徳島から出直してきたんです、お願いします」とひたすらに拝み倒して、特別に明けてもらうことができた。なんか、カギを本坊のほうまで取りに行ってくれていた。
感謝のきわみ。
拝観料は200円だった。
三重塔を遠景すると、江戸時代の三重塔や五重塔にありがちな軒の出に対して背が高い外観がわかる。実際、江戸末期(1858)の建築である。
だが、この塔は日本の仏塔の歴史を見通す上で看過できない存在なのである。ちょっと長くなるがその理由をこれから説明する。
高校のときの日本史の教科書を思い出してほしい。飛鳥時代、仏教の伝来とともに日本では仏塔が建てられるようになる。仏塔ははじめ仏陀の代わりの仏舎利を納める施設として、寺の伽藍の中心に配置された。
それが時代が下ると仏像を祀る金堂が中心になり、塔は金堂の横へ、やがて回廊の外へと場所が移動していったというようなことが書かれていたと思う。このストーリーの終わりは平安時代初期くらいであろうか。これが学校で教わる仏塔のすべてだ。
もちろんその後も仏塔は作り続けられ、構造的な変化が訪れる。
三重塔や五重塔にはその中心に「心柱」という通し柱が1本だけ立てられている。残りの柱は各階の四隅の管柱であるが、各階の管柱が床や屋根を支えるのに対して、心柱は他の部材と連結せず九輪だけを支えていた。
なぜそのような構造になっていたかについては、耐震構造というような説が安易に語られるが、真相は塔はもともと仏舎利を納めるための施設で、それは心柱の直下の「心礎」という礎石に納められた。その上部に一本筋を通すというのが当然の設計であったろう。
だが時代が下り、塔の中に仏舎利を納めるという前提がなくなると、心柱の重要性は下がる。江戸時代に入ると心柱は2階以上に通すようになり、1階は完全に仏像を納める空間として利用可能になっていった。
さらに江戸時代後期には、それまで塔の内部は1階だけしか入れなかったのを2階、3階まで入れるようになり、展望塔の機能を持つ塔が出現する。
さらに戦後、RC造による仏教建築が盛んになれば、エレベータで上層へ上れるものまで出現するに至った。これが日本の仏塔の現代までにつながる歴史であり、登れる仏塔は、仏塔の進化の結果行き着いた究極の姿といっていい。
清水寺三重塔はいくつかある登楼可能な木造三重塔のひとつだが、常時内部を開放している唯一の塔で、きわめて貴重な建築なのである。
では、さっそく塔の内部を見ていこう。
塔の1階は通常の建物と同じくらいの階高がある。
写真は1階から上層階へ上る階段。
私が拝み倒して三重塔を開けてもらったので、そのときたまたま近くにいた親子連れも中に入れることになった。
1階の天井裏、というか、1層の屋根の小屋の内部である。1階から見えた階段は小屋の内部で2つの踊り場を経て2階へと至る。
つまり、1階から2階へは3本の階段で折り返しながら登って行き、小屋の内部にも1階分くらいの高さがある。実質的には三重塔は、3重5階の建物なのだ。
階段は1箇所なうえ急なので、観光客が多いと大変なことになりそう。
惜しまれることに、階段室には板張りがしてあって、小屋組み内部や垂木、心礎の載せ方などを観察することはできない。
途中、一ヶ所だけ軒の組み物の平斗の裏側を観察できる場所がある。
2階へと出た。
2階は階高が低く、頭をかがめないと通行できない。
床は通常の床だが、天井は鏡天井。
階の中央の四天柱の内部には、小型の赤い多宝塔が納められていた。
多宝塔の後には心柱が見える。この三重塔は2階以上にしか心柱が通っていないのだ。
二階からは外に出ることもできる。
欄干はかざり程度の高さしかないので、一般的な手すりの安全基準とまったく満たしておらず、ひとたび事故でも起きたら、拝観禁止になりそうで怖い。
2階から3階への階段。
狭い小屋の中を登っていくのがたまらない。
3階への階段は、2階の階段と同じパターン。
3階へ出た。
この、穴が開いているだけに見える大ざっぱな入口がしびれる。
3階の四天柱中央には阿弥陀如来が祀られていて、背後にはやはり心柱が丸見え。
3階もやはり階高は低く、欄干へ出るための唐戸をくぐるのも一苦労。
3階はかなり眺めがよく、安来方面を遠望できる。
三重塔から境内を鳥瞰するとこんな感じ。いつまでも見学可能な三重塔であってもらいたいものだ。
三重塔で気になったのは、階段に節穴を樹脂でふさいだような補修が随所にあった。これは何なのだろう。
つづいて、前回の訪問時に見落としていた仁王門を見にいくのだが仁王門へまた上り坂だ。
きょうは登山で疲れていたので車で行くことにした。駐車場まで戻り、参道とは別の道で仁王門まで行くことができるのだ。
車で仁王門に到着。
ここは清水寺への自動車での入口にもなっていて、山門の横にゲートがありカードキーなどで通行できるようになっている。
正面に仁王を配置した八脚門で、大わらじが掛かっていた。
それにしてもなんでこんなところに山門を建てたのだろう。ここから本坊方面へは、斜面を降りていく位置にあるのだ。
こういう寺、岡山のほうでもかつて見たような気がするが、不思議だ。
内部の仁王像。阿形。
吽形。
2回目の訪問でやっと安来清水寺の全容を把握できた。
清水寺に行くときは、土日にいくことと雨天を避けること、そして仁王門を見落とさないように注意することだ。
(2005年09月01日訪問)