美保神社。『出雲国風土記』にも登場するという古社であり式内社。古くから出雲大社と両参りの風習があるという。
美保関町の入り江の西の谷を占めている。つまり社殿は東面。門前には5~6件の土産物屋がある。
参道の途中に廻船御用水という井戸がある。
干ばつが続いたとき、廻船問屋が資金を出しあって掘り当てた井戸だという。
参道の鳥居の左側には社家がある。
鳥居をくぐると右側に宝物館。
神事に使う船などが収蔵されている。
境内図はないが、建築計画を表わした完成予想図があり、ここから随身門、展示館、神事会所を除いたのが現状の境内と考えればよい。
参道を進むと左手に水盤舎。
神門の手前、回廊の床下に船の残骸が置かれている。
これは明治29年、寳榮丸という商船がウラジオストクへ向かう途中、嵐に遭い舵も折れていよいよ遭難するというとき、乗組員が美保神社の神に祈ったところ、にわかに嵐がやみ、大きな鯛の水先案内によって美保まで帰り着くことができたという。
これはその船の折れた舵だという。
そこから三間一戸薬医門の神門がある。
神門の左側には社務所。
神門の右側に回廊があり、内部は絵馬堂になっている。(回廊の外観は写真を撮り忘れた。)
寳榮丸の物語が描かれているものだろう。
巨大な鯛の模型。
神事で使うものか。
神門の左側にも短い回廊があり、護符売り場へとつながっている。
その横にある建物。社殿配置図には名前がないが、見たところ神饌所と思ってまちがいないだろう。
正面は切妻妻入りの大拝殿。
この型式に名前があるのかどうか知らないが、大社型拝殿、と言っていいと思う。出雲大社教の拝殿に見られる拝殿型式だからだ。昭和3年の建築で、設計は伊東忠太という。
ありきたりな言い方をすれば、縦拝殿か。
拝殿の小屋組み。
以下は、社殿の全景。
美保神社の本殿は大社造りの本殿を横に2つ連結したような作りで、美保造り、または、比翼大社造りと呼ばれるもの。江戸末期の再建だが、国重文に指定されている。
ただ、個人的にはこれは大社造りというよりも春日造りの一種と言いたいくらいの建物だ。
本殿を後ろから見たところ。
単に2つの切妻の本殿が並んでいるというのではなく、間の部分にも室内空間がある。流造りが横に連結した三間社流造りの、大社造り版ということだ。
真ん中の部分は装束の間と呼ばれる部屋になっている。
それにしても雨じまいとしては最悪の建物だな。すぐ雨漏りしそう。
本殿の裏側には末社の若宮社。
拝殿の右側には末社の稲荷社があった。
境内からは美保湾が見える。
(2005年09月03日訪問)