次の目的地に向け県道を走っていると、また共同墓地があった。
境内には小さな無縁仏ピラミッドが見えたので立ち寄ることにした。
こちらがその無縁仏ピラミッド。右側に見える先端が尖った墓石は軍人の墓。
ピラミッドはこれまで見てきたものに比べて小型で、構成されている墓石の多くが四角柱型の新しいものが多い。中には「○○家の墓」型の墓碑銘のものもある。島の西部で見てきた墓石と、ここ島の東部の墓石は年代的にも違いがあるようだ。
こうした違いがなぜ生じたのかはすぐには想像できない。
このとき私は無縁仏ピラミッドが小豆島の墓地の特徴だと思って、そこに注目していた。
だがあとになって思えば、本来注視すべきはこちらの引導場、さらにいえば墓地全体の墓石だったのかもしれない。
引導場は四方吹き放ちで壁がない。擬木で作られていて、極最近建て替えられたものに見える。
他に、奥に閼伽井屋があった。
引導場の内部。
棺置き台も新しい。ということは、土葬がなくなった現在でもまだここで何らかの儀式が執り行なわれており、引導場はあいかわらず必要なのだろう。
この墓地の横には小さな庵があった。
この寺の墓地、という意味ではなく、偶然墓地の隣りに寺があるというだけの関係だろう。
建物は、本堂、兼、庫裏が1棟だけ。
無住のようだ。
本堂の横には消防団の倉庫があり、背の高い火の見櫓があった。
本堂の続きの部分にあった車庫?
かつて霊柩車が保管されていたかもしれない。
(2006年10月08日訪問)