その寺に行くだけの山道のどん詰まりにある寺って、どうしても行ってみなくては気が済まない。
県道から枝道に入って4km。前から対向車が来たらどうしようというような林道をひたすら登っていた。
やがて左右に大きなが崖が門柱のようにそびえる景観の谷に出た。
そこにあるお寺が、山之観音である。
○○院とか、○○寺という名称があるのかどうかは不明。たぶん山にある観音だから「山の観音」なのだろう。
小豆島八十八ヶ所霊場の80番札所、観音寺の奥の院であるという情報も見かけるが、真相はわからない。札所巡りの地図などにはこの寺は載っていないのだ。
山門は仁王門の八脚門。
切妻造りの瀟洒な門だ。
山門を潜ると右側には東司、水子地蔵堂(写真)がある。
山際には質素な鐘堂がある。
さらに進んでいくと、庫裏の玄関のようなところについた。
あれ~、もしかして納経所だけがある山寺なのか。
でも玄関は自動ドアになっていて勝手に開いたので、一応、中を確認してみるか。
ドアを入ると地蔵菩薩の仏画が飾られていた。
正面の通路には「出口」の文字。
そして右側に「順路→」とある。
ここは庫裏のはずなのにいったい何の順路なのか。
仏画の後ろに回り込んでみると「戒壇廻」の文字!
ぬぁ~にぃ~~っ!!
庫裏の中に戒壇潜りがあるとな!?
「※必ず左側の壁を左手で触りながらお進み下さい」とある。
壁には小さな陶器製の観音菩薩がびっしりと貼り付けられている。
これをさすりながら進むということか。
戒壇入口から通路は屈曲しているため、中にはあまり光が届かない。
しばらく進むと目の前は真っ暗になり、何も見えない。左手に触れている壁だけが頼りで、手探りで闇の中を歩かなければならない。
まさに観音菩薩の慈悲にすがるという体験である。
しばらく闇の中を進むと明かりが見えてきた。
だが外に出たわけではなく、四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場になっているのだった。
お砂踏みとは、実際の四国八十八ヶ所から拾ってきた砂を床や座布団に埋め込んで、その土を踏みながら仏像にお参りするいことで、四国を廻ったのと同じご利益が得られるというもの。
でも、島四国自体が四国をミニチュア化した写し霊場で、その札所のひとつの中でさらにミニチュア化した霊場があるというメタ構造に目が回りそう。
霊場の砂は、使い捨てカイロみたいな感じで床に貼られている。
それが親切にも礼拝する順序を示しているのだ。これだと素通りはできない。ちゃんとテープからはみ出さないように歩かなければ。
お砂踏み霊場から階段があり、登るとなんと本堂の中に出た。
これまでいくつも戒壇巡りを見てきたが、それらはあくまで参拝としてはオプションであった。あまりアピールしていない寺では、参拝しても気付かないことすらあるくらいである。
ところがこの寺では、戒壇を通らないと本堂に行けないのである。全員強制の戒壇って日本でここだけではないか?
けっこう人がいる。寺に着いたときにはほとんど人を見かけなかったのに。若い人もいるのにびっくり。
内陣の厨子の横でお遍路さんが渋滞していた。
本堂の奥壁は自然の岩壁になっているのだが、奥に洞窟があるようなのだ。
す、すごい。
戒壇を通らないと行けない本堂、その本堂は岩の中にめり込んでいて、内陣が洞窟になっているという、畳みかけるようなアクロバット建築。
オレ、いま夢でも見てるの!?
夢だったらたいがいデジカメの電池が切れたりするんだよね。大丈夫だよね??
でも洞窟の中は暗すぎて、デジカメで撮影するのは無理だった。
扉があり、さらに奥がありそう。
洞窟は本堂の床から少し下るようになっていた。
あとで外にでて確認したら、玄関と本堂はこんな関係になっていた。
いや~すばらしい寺だった。
小豆島のお寺ってどうしてこういう方向性に進化しちゃったんだろう。もう全国のお寺は小豆島を見習ってほしい。
(2006年10月08日訪問)