きょうの最終目的だった恵門ノ瀧も見られたし、あとは島の外周をひと回りしながら、どこかで夕食をとって土庄の宿に戻るだけである。
小豆島北東の小さな入り江に面した町、吉田集落へついた。集落のある谷の奥には巨大なダムが見える。小豆島の広域の水源、吉田ダムだ。
海岸線から1kmほどしか離れていない立地に、これだけ巨大なダムがあるというのが不思議だ。瀬戸内の島の海岸で何度か感じたことなのだが、海岸が海抜0mの一番低い土地の風景ではなく、山が水没して山頂だけがかろうじて水没を免れている風景に見えてくるのだ。海岸にいても、雲海の山頂に立っているような高所感を感じることがある。
その吉田側の河口に共同墓地があったので立ち寄ることにした。
墓地はこれまで見たのと同じように、真砂土の上に直接墓石が置かれている造りで、1区画に複数の墓石が立っている。
墓石の正面から見て、左側の隅に四角い石版が置かれている。写真でみるとヤカンが置かれていたりするが、これは子供の墓ではないかと思う。
無縁仏ピラミッドはこぢんまりとしていて、構成する墓石の形状や材質も揃っていない。そのせいで、全体のシルエットも漠然としたものになって、ピラミッドと呼ぶよりも塚というのがふさわしい。
引導場は鉄骨造、四方吹き放ち。弘法大師(?)と六地蔵が見守る。棺置き台は横に長いので、寝棺も充分に置けそう。
ここで初めてこの場所の使い方を村人から聞くことができた。
この建物は「オダイシサン」と呼ばれる場所で、家から葬送行列が来てここに棺を置き、お坊さんがお経をあげるのだそうだ。
そのあとお棺は霊柩車に載せられ火葬場へ行き、遺骨が焼き上がったら家に持ち帰るとのこと。
私が群馬で体験した田舎の葬式は、火葬場で解散するのではなく、遺骨が家に戻ってからも参列者が念仏をあげるという流れだった。「遺骨を家に持ち帰る」とわざわざ説明されたので、小豆島でも家に持ち帰ってからの儀式があるのかもしれない。
これが火葬場。
この吉田集落は他村に先駆けて土葬をやめて火葬に切り替えたのだという。
小豆島では比較的最近まで土葬だったため、となりの
火葬場の中を覗いてみたが、もう火葬施設としては使われていないようだった。
これは煙突の跡だろう。
いまでは火葬場といえば広域で大きな無煙の施設になったが、少し前までは村ごとに火葬場があり、煙突から煙が立ち上っていたのだ。参列者がその煙が上がっていくを見て「いま、あのひとが天国に行ったな」などと言い合うのを、私は実見したことがある。
2020年現在、この火葬場は取り壊されて更地になってしまっている。
(2006年10月08日訪問)