神山町では毎年、外国からアーティストを招聘して、町内でインスタレーション作品を展示するイベントを行なっている。
今年はその展示会場として、神山町に残る芝居小屋「寄居座」が使われている。普段は入ることができな建物だが、会期中は中を見学できるというので、出かけてきた。
寄居座は非常にわかりにくい場所に建っていて、旧道を車で走ったくらいでは見つけるのはむずかしい。
この長屋の狭い通り土間を抜けた先にあるのだ。
このわずかな隙間から見える建物を見て、奥に芝居小屋があるなんて見抜くことは不可能。
土間を抜けると、そこに見えるのが・・・
ばばーん! これが寄居座だ!
いや、これで芝居小屋だって見抜くの、かなりむずいでしょ!
北関東の養蚕農家くらいの大きさで、外観的には娯楽施設っぽい要素が皆無。
寄居座は昭和4年に建てられたと考えられていて、第二次大戦中に中断したものの、戦後に復活。地芝居や映画などを上演したという。
閉館したの昭和30年代だったらしい。
オープン時間に来てみたものの、なぜか開いていない。本来ならアーチストか管理人が在廊しているはずなんだけど、寝坊でもしてるんだろうか。
しかたないから他の会場へ行き、事務局の人に解錠してもらった。
中に入ると、内部にはワラで出来た巨大な桶みたいな作品が展示されていた。
こちらは舞台側。舞台と客席とは20cmほどの段差があるだけで、ほぼ客席と同じレベル。
舞台上には回り舞台がある。ということは、床下にそれなりの地下空間があるはずだが、せり上げは見あたらなかった。
右側の柱には背景幕が掛けられるのだろう。
舞台の上はぶどう棚になっている。
舞台から客席側を見たところ。
平場には枡は切られておらず、平らな板の間になっている。元々は土間だったかもしれない。
向こう桟敷から舞台の方向を見たところ。アートが邪魔で肝心の舞台がよく見えない・・・。
客席と舞台の段差がわずかしかないのがわかる。
芝居小屋の聞き込みをすると、「客が座布団を持参して観に来た」という話をよく聞くが、おおむねこんな感じの小屋だったのだろう。
この芝居小屋の特徴は、格天井が広告になっていることだ。
芝居小屋が閉館したあと、縫製工場として使われた時代がある。そのとき別の天井が貼られていたものを、撤去したら出てきたものだ。
所々、板がなくなってしまっているが、製糸会社の広告が目立つ。
左側から「片岡製絲所」、「日之出製絲」、「筒井製絲」、「
筒井製糸、小口組製糸などそうそうたる大製糸会社だ。片岡製糸は鴨島町、日之出製糸は徳島市の製糸工場だったようだ。
右側に「筒井製糸 繭仲買人 神領村上角 河野時蔵」といった個人の広告もある。
神領村はこのあたりの旧地名だ。いま神山町内に養蚕はまったく残っていないが、戦前には多くの人々が蚕糸業に携わっていたいことがわかる。
産婆さんだけでも2軒の広告がある。
寄居座は徳島にたくさんあった芝居小屋があまり改造されずに残った貴重な資料だ。他の地域で話を聞くときにもここをイメージすればわかりやすいと思う。
ただ、建物としてはあまりにも質素なので、町指定の有形文化財にして保全するには相当の叡断が必要となりそうな気がする。できれば町おこし目的の直売所やカフェなどに改造されることなく、芝居小屋としての姿のまま永らえていってほしいものだ。
(2008年10月26日訪問)