ひこばえの樹

噴石置き場の塚の上にそびえる巨大なコナラ。

(群馬県安中市松井田町新井)

NHKが渋沢栄一を主人公にした大河ドラマ『青天を衝け』を制作するというのは少し前から公知のことになっていて、撮影のために某大学の実習農場の桑園から桑の古木を大量に移植するという話も風の噂に聞こえていた。

「桑の移植なんて上手くいくのかね? 手前1列だけ本物を育てて奥はCGで良いんじゃないの?」などと思っていたのだが、実はこのプロジェクト、想像以上の規模で進んでいたのだった。

なんと渋沢栄一の生家付近の風景を畑ごと作るという大規模なオープンセットを作っていたのだ。しかもそれが群馬県の安中市内に建設中だという。

近所でもあるのでヤジウマ根性で一度見に行ったのだけど、撮影現場は関係者以外立入禁止で、道路から遠巻きにハリボテの建物が見えただけだった。

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ところがである。それからしばらくしたある日、この撮影に協力するという仕事が舞い込んだ。

その関係で、美術さんと打合せでオープンセットの敷地に入らせてもらえることになったのだった。

もっとも写真を撮ってもいいとは思っていなかったのでカメラは持ってきておらず、スマートフォンで撮影。風景の写真撮影の許可はもらっている。

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NHKではドラマの撮影協力者は放送日の1週間を切ったら、簡単な内容をブログに書いてもいいといわれる。大々的に発表したり、新聞社に持ち込んで記事にしてしまう人もいるので、放送の最終話の直前にここで風景を紹介するくらいは許してもらえるだろう。

こちらが「(なか)()」といわれる渋沢栄一の生家のセット。実際の生家は関東平野のまん中の深谷市なので、こんなふうに近くに山が見えることはない。

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現在、深谷市には栄一の実家の建物は残っているが明治時代に新築されたものだ。一方、ドラマの年代は幕末なので、現在の深谷市の建物とは時代が違う。

こうしてみると、本物の古民家があるように錯覚するが、セットなので見えている側だけを作ったの看板のようなセットだ。

玄関の戸口など見える範囲はそれらしく作ってあるけれど、基本的にハリボテなので室内はない。

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こちらは主屋の左前にある小屋。

下男下女の寝所という設定だろうか。

渋沢家は相当の大地主だったので、ドラマのように栄一自身が鍬を振るったりすることはなかったろうと思う。

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こちらは主屋の右前にある小屋。

農作業小屋だろうか。

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ドラマの中では渋沢家は藍を栽培している設定なので、小屋の前にも藍葉が干してある。もっとも藍で商売をしていたら、こんなにちょっとの量ではまったく足らないのだろうけど。

この日は撮影があったので小道具が並んでいて生活感があった。

藍、干し柿、ダイコンはすべて本物。

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主屋の右側の農具小屋、あるいは、染め場か。

栄一がドラマの中で藍染めを研究したという藍ガメのある小屋は主屋の裏側にあるという設定なので、位置が違っているが。

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このオープンセットで撮影するのは、農道を歩いていたり、庭で立ち話をしたりしている場面だけだ。役者さんたちがここに来た回数はそんなに多くないだろう。

屋内シーンはスタジオに別のセットがあるのだ。

わが家でかかわった収録はすべて室内のシーンだったので、仕事場はここではなく、渋谷や横浜だった。

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このオープンセットのなかで象徴的な風景はこのコナラ(?)の巨樹。CGではなくて実際に畑のまん中に生えている。「(ひこばえ)の木」という名前で、以前から写真愛好家などには知られていた樹らしい。

オープンセットの候補地は利根川下流域の某所で準備が進んでたらしいのだが、最終的にこの場所に確定したのは、この樹があったことも大きかったのではないか。

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樹の周りは桑園になっている。

群馬県ではまだわずかに桑園が残っているし、この近所にも大きな養蚕農家があるのだけど、この桑はセットとして植えたものだ。大学からと近所の養蚕農家から約3,000本を移植したという。

江戸時代末期の桑園の仕立てはおそらくこうではなかったろうと思う。古絵図などにわずかに確認できる限りでは、江戸時代の桑は果樹のように大きく仕立てていたらしい。このような低い仕立ては、条桑育という飼育方法になってからだと思われる。

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NHKが借り上げた土地は2~3ヘクタールくらいありそう。細長い敷地で、東西に500mほどの範囲。

ほぼコンニャク畑だったそうで、2年間のコンニャクの売上げを補償するのだから借地料も安くはないだろう。

ロケ地の中を貫く農道は元々の農道ではなく、むかし風にわざと曲がって作られたものだ。途中にあるはね上げ井戸や石仏などはすべてイミテーション。

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敷地の東の端には尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の家のセットが造られている。

尾高惇忠は明治維新後、富岡製糸場の立上げに携わり、初代製糸場長になった人物。実際には名主でかなり裕福な家だった。

惇忠の妹、千代は渋沢栄一の最初の妻になるので、渋沢家とは親戚の関係である。ドラマでは幼なじみ同士の恋愛結婚みたいに描かれたが、現実には名家と名家が結束するための政略的な婚姻だったろう。

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尾高家の建物は石置き屋根。

渋沢家を茅葺きとして、見分けやすいようにあえて違うデザインにしたのか。

こちらもハリボテで、室内のシーンは別のスタジオで撮影された。

中ん家と尾高家の撮影にかかわって、間取りがすっかり頭のなかに入っているので、この中にどんな部屋があるのか想像でつながるのが不思議な感覚。

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時は過ぎて10月。もう一度仕事で訪れた。

もうここでの撮影はあらかた終了していて、セットの撤去が始まっていた。

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桑はまだ残っていたが、よく見ると変な仕立てになっている。

畑の手入れは養蚕農家ではなく、植木職人さんか梅農家さんがやったのだろう。養蚕農家ならこんなふうには切らない。

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ひこばえの木の葉もまだ青々としていた。

この樹の下は塚になっている。ドラマのなかでも登場人物がここに腰掛けて話をする場面が何度もあった。

この塚は、浅間の噴火(天明?)で積もった軽石を集めて捨てた場所なのだという。この周辺の畑の中には、いくつか同じような塚が残されている。

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いまにもドラマの登場人物たちが出てきそうな風景。

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セットを残して観光地にすればいい、という声もあったようだ。だが借地料を別としても、これだけの広さの園地を草だらけにせず、ドラマ撮影時のような昔ふうの田園風景に維持するのにはかなりの人数を通年で貼り付けなければならず、大変な予算が必要になる。深谷市にあるのならまだしも、渋沢栄一とゆかりのない安中市がその予算をつけるのは難しいだろう。

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中ん家があった場所はすでに撤去が終わっていた。

黒い境界杭が立ててあるあたりに中ん家のセットがあった。農道だったところも、庭だったところもひとまとめにトラクターを入れて平らにしてある。

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ひこばえの周りの藍畑には、刈り残した藍がまだ残っていた。

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それからさらに2ヶ月。2021年の年末。

ドラマも最終回を迎えるころ、もう一度仕事でひこばえの木を訪れた。

藍畑は、栃木県の藍専業農家が2年間通って管理してきたがそれもおしまい。すべて刈り取って、整地して元のコンニャク畑に戻すのだ。

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この日は桑畑の抜根作業が行われていて、ユンボが次々に桑の株を引き抜いていた。

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わずか1日で桑畑がなくなってしまった。

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これで、オープセットとして作られた痕跡はすべて消えた。

このひこばえの木だけを残して。

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ひとつ気掛かりなことがある。

このコナラは古木のため幹が裂けていて危険なので、近々伐採される予定だったという。

NHKの撮影のために添え木をしてワイヤーで固定して伐採を延期してきたというのだ。

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この大木が見られるのも、あとわずかとなった。

これが最後の写真となるかもしれない。

(2021年11月28日訪問)