尾高惇忠の生家

明治時代の実業家の生家。

(埼玉県深谷市下手計)

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深谷市に来ている。

きょうは渋沢栄一ゆかりの地を巡るつもり。

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最初に訪れたのは尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の生家。

惇忠は、私が住む群馬県では富岡製糸場を立ち上げた人として知られている。初代の製糸場長でもある。また、それまで春にしか生産できなかった蚕の繭を、通年生産するために尽力したことは、以前に紹介している。

また、惇忠の妹「ちよ」は、渋沢栄一の最初の妻となった人である。つまり、栄一は惇忠の義弟ということになる。惇忠の弟平九郎は幕末に幕府軍で戦い、その自害の地も紹介した。

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2021年のNHK大河ドラマ『晴天を衝け』では渋沢栄一の若かりしころが描かれ、その中で尾高家の人々も登場した。

偶然、その制作に協力することになり、私もドラマの撮影現場をお手伝いさせてもらった。ちえ役の橋本愛さんや、和久井映見さんらと少しお話しできたよ。

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ドラマのオープンセットは群馬県の安中市郊外に作られていて、そちらにも何度かお邪魔させてもらったが、私たちがかかわったのは屋内のシーンだったので、安中での撮影は実際には見たことがない。

こちらが安中市に建てられた惇忠の家のオープンセット。この場所は庭で立ち話をするシーン専用の張りぼて。惇忠の家の室内は渋谷のNHK放送センター内に同じ大きさのセットがあって、そちらでの撮影だった。

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で、こちらが実際の惇忠の生家。

屋根の葺き方が違っているけれど、だいたい同じようなカタチをしている。

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建物の中に入ってみて初めて知ったのだが、放送センターにあったセットの間取りは実際の生家の間取りと似せてあったということだ。

完全に同じじゃないけれど、中の雰囲気がとてもよく似ている。

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拝観は無料だけど、室内には上がれず、通り土間を歩くだけ。古民家で室内に入れないと、すっごく印象が薄くなるよね。

建物は2階建てで、2階では渋沢栄一らが高崎城を焼き打ちする計画を練ったとされている。

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建物は江戸後期に、惇忠の祖父が建てたもの。菜種油や藍の問屋をしていたようだ。

染めに使う藍玉の実物が展示してあったが、これが惇忠の家に残っていたものというわけではない。

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埼玉県の藍の産地の地図。

地図を見ると、利根川の氾濫原である本庄~深谷の北部と、荒川の氾濫原である東松山~川越の荒川右岸が大きな産地に見えるが、そのエリアじゃあまり藍農家っぽい民家を見かけないのだよね、注意力が足らないのか。むしろ加須や幸手のほうで藍農家っぽい民家がある気がする。

ほか、展示はパネルが中心で、あまり見るものがなかった。

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通り土間を抜けて、主屋の裏側へ。

ここには煉瓦でできた蔵がある。

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これは明治時代のものだろう。

煉瓦蔵の西側は柵があって行けないようになっている。

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でも主屋の前からはなぜか普通に行けるようになっていて、屋敷神を見ることができる。

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屋敷神の内部。

尾高惇忠の生家は、展示も少なく、いまひとつ拍子抜けだった。耐震基準などの関係でむずかしいのかもしれないが、やっぱり室内には上がらせて欲しい。

栄一が密議をしたという2階に登れたらかなり印象が違ったと思う。

(2023年01月31日訪問)

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