倉澤長男稚蚕飼育所

個人経営の現役の稚蚕飼育所。

(群馬県みなかみ町月夜野)

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夕方ちかい時間になってしまったが、稚蚕飼育所を訪問した。

実は月夜野に稚蚕飼育所があるという噂を聞き、昨日も往路で探したのだけど見つからず、もうなくなったのだろうとあきらめていたのだ。

ところがきょうの午前中、藤原の奥利根民俗集古館で「今年も月夜野の飼育所が展示用の蚕を持ってきた」と聞き、まだ存続していることを知った。

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まだあるとわかれば、探し方も変わってくる。聞き込みを繰り返して、倉澤長男稚蚕飼育所を見つけ出した。

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ちょうどご主人がいたので話を訊き、簡単に施設を見せてもらえることになった。ご主人は23歳のときに父を亡くし養蚕農家を継承した。以来51年間、蚕を育ててきた。

倉澤家の主屋の土間には自家用の土室がある。いままで生活する場所に土室があるというのは見たことがなかったのでびっくり。防疫的にちょっと気になるが、夜間でもすぐカイコの様子が確認できて便利そうだ。

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この土室は昭和30年ごろに造られ、途中から土室電床育に改造した。いまは使っておらず、酒や調味料の保管庫に使っているという。

近年温暖化が進んでいるとはいえ、このあたりは高原なのでひと夏に30度になることは2~3回しかない。土室が簡易的な保温庫になっているという。

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稚蚕飼育所は外観からはただの倉庫といった感じで、これではいくら道を走り回っても見つからなかったはずだ。

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飼育施設は「ブロック電床育」方式。

農協が農家から注文を受け、倉澤家に飼育作業を委託する形で運営されている。

現在、利根地区には20戸ほどの養蚕農家がある。1戸を除くとほとんどが1~2箱という小規模農家だという。農家は主に月夜野、新治地区に集中していて、ほかは沼田に2戸ある程度だそうだ。

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この春にはムロを3基使って飼育したという。春蚕の掃き立ては5月27日だった。前橋あたりは5月9日ごろなので、だいぶ遅い。

飼育方法は人工飼料ではなく「桑育(くわいく)」。

群馬県では前橋、安中富岡に農協が運営する稚蚕飼育所が稼働しているがいずれも人工飼料育だ。

桑を使った稚蚕飼育所自体がかなり希少になっている。

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飼育所内で見た養蚕の護符。

藤原でいまでも出している神社があるんだ! 先に知ってたらきょう探したのに、惜しい。

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家の近くにある稚蚕用の桑園。

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主屋の横に桑の大木がある。

ロソウ系の坂東(ばんどう)という品種。かつてはみなかみ町方面で主力だった品種。

ご主人の先代の時代に使った桑で、ご主人自身は使った経験がなく、いまは庭木として剪定しているだけとのこと。

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ご主人がヤマグワと呼んでいる樹。

薄根の大クワの説明にヤマグワとあるが、ご主人によれば薄根の大クワはヤマグワではないとのこと。桑にはサトグワとヤマグワがあり、ヤマグワは蚕に食べさせるものではないと。

ヤマグワという用語は多義的で、私自身かなり混乱している。

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ご主人は稚蚕飼育のほか、壮蚕飼育もしているという。

蚕室は家から少し離れたところにある。➡ 場所

「昭和五十二年度養蚕近代化促進対策事業」という予算によって造られた「橋上壮蚕飼育団地組合 三号棟」。おそらくかつては組合で共同経営していたのを倉澤家が継承したものなのだろう。

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内部には多段循環式蚕座が1基ある。おそらくかつては2基あっただろう。

稚蚕飼育だけでは桑が余るから、その余った桑を使用して養蚕をする。この晩秋蚕期には85kgの繭を農協に出荷したそうだ。繭の重さからして、45,000頭の飼育だと思われる。

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蚕座はバケットが開かないタイプ。除沙の際はカイコを網で釣り上げて、バケットをひっくり返して蚕沙を捨てるのだろう。

この蚕座を製造販売していた信光が事業を終了するとき、農家を集めて、整備と修理の講習会を開催したそうだ。ご主人はその講習会で覚えてきて、チェーンなどが切れても自分で修理するという。

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古い稚蚕飼育コーナーか。

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飼育しているころにまた来なさいと言われたので、2011年6月4日にまた訪問させてもらった。

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息子さんが作業中だったが対応してくれた。

今年は桑の生育が遅く、掃き立てを3日遅らせた。配蚕は3齢3日目なのだが、本来ならきょうが配蚕日だったそうだ。

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春蚕の品種はすべて「ぐんま200」。群馬県だけで作られているオリジナル蚕品種だ。

飼育する品種が2種類以上になる場合は、列を分けて混ざらないようにするという。

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カイコはサンピー蚕箔という鉄製のパレットに載せられ、蚕棚に8~9段に納められている。それを1枚ずつ取り出して、給桑して、また蚕棚に戻す。

もう給桑が終わっているのだけど、形だけ取り出してくれた。もう3齢なので、防乾紙などは載せない。

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3齢配蚕になったのは、10年くらい前からだそうだ。

1枚の蚕箔では卵の10g(2万頭)を2齢の終わりまで飼うことができる。しかし3齢まで飼うとなると面積が足らなくなるので、途中で3枚に分箔するという。

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蚕棚の一番下の段には蚕を入れず、パレットの上に湿った新聞紙を置き、ムロの中を加湿していた。

ブロック電床育は、昭和26年に勢多郡宮城村の豊島源之助が考案し、前橋市の蚕糸試験場が普及を図った稚蚕の飼育方式だ。その関係で群馬県の地域の稚蚕飼育所の標準的なフォーマットとなっている。

現在、ブロック電床育の施設が稼働しているのは倉澤長男稚蚕飼育所のみだ。つまりは日本最後のブロック電床育飼育所と言っていいだろう。

貴重な現場を見せていただき、ありがとうございました。

(2010年10月23日訪問)