慈光寺から西へ行ったすぐにあるお寺、霊山院。
宗派は臨済宗で慈光寺とは違うけれど、この一帯に一山寺院があった時代のお寺の生き残り。鎌倉時代初期、後鳥羽天皇からの勅願により創建されたという歴史を持つ。
境内の整備にとても力が入っていて、慈光寺よりもお寺としては大きく立派。
駐車場の片隅に鎮守社があった。
鎮守社のあり方として、境内の外側にあったりするほうがそそる。
本殿は覆屋の中にあるので見づらいが、一間社流造の丁寧な社殿だった。年代は昭和末期か平成かもしれない。
本堂のほうへ行ってみよう。
山門は2つ並列になっている。
左側の門は勅使門の開かずの門。
天皇の勅願で出来た寺の誇りを感じさせる。
構造は四脚門。
妻を見ると、主柱は屋根まで1本で届いているが、大型の
ゆえに構造的に四脚門というより2本柱の棟門に近い変則的な造り。
もう1つは中門で、構造は門扉のない三間一戸薬医門。
手前のモミジの枝の張り出しが良い具合でフォトジェニックな門だ。
中門をくぐるとと正面は玄関になっている。
棟のある独立した玄関ではなく。本堂と客殿の庇の下に埋め込んだような造り。
玄関の右側は客殿。
その先に民家風の庫裏と座禅堂。
座禅堂は数寄屋造りでかなり大規模な建築。
当サイトでは、禅寺において座禅をする建物を「禅堂」と分類しているけれど、こういう座禅場みたいなものと禅堂は区別したほうがいいのかな。まあ、いまのころ件数が少ないから一緒くたにしているけれど。
いわゆる禅宗建築の、土間の寒々とした禅堂ではなく、床もあるきれいな建物だった。
毎月第2土曜日、19時から無料の座禅会が開かれているという。夜からというのが勤め人でも参加できるからいいね。
玄関の左側は本堂。
禅寺の本堂は向拝から室内へは土間のまま入って、室内に上がり框があるパターンが多いが、この寺では屋内は全部床張りで向拝の濡れ縁に上がる造り。
どちらかというと天台宗などにありがちな構造。
本堂の裏側チェーック!
庭園はなかった。
本堂の前には露座の阿弥陀如来。
板碑は鎌倉時代のもので県文。
水琴窟があったので水を垂らしてみたけど音がしない・・・。
よく見たら、竹に耳を当てろとのこと。耳を当てたら聞こえた。
本堂の右奥に何か堂がある。
周囲は歴代住職の墓所で無縫塔が並ぶ。
ひとつだけひときわ高いところに無縫塔があった。
このお堂は、
案内板があったけど文字がかすれてよく読めないところもある。
幕末にこの寺を再興しつつあったところ、明治維新の動乱、廃仏毀釈運動で寺は荒廃した。それを憂えた叔山禅師という僧が檀信徒の結束のため入定した。明治6年、45歳だったという。
入定とは生きながら地下に埋められ、命を絶つという壮絶な往生である。
入定堂の横には四阿があった。
ここからは境内を一望し、関東山地の山々もかすかに眺めることができる。
(2021年11月03日訪問)