真冬の風の強い日だ。きょうは養蚕農家の写真を撮るために半日でかけている。群馬の県南から埼玉の県北地帯にかけて、おもしろい養蚕家屋がないかの探査である。
特に、田島弥平宅に明治時代に作られた蚕室のレプリカというかコピーみたいなものが、人知れず、文化財にもならず、納屋に転用されるか廃屋になるかして、ひょっこり残っていたりしないかという密かな目的をもっての調査だ。その目的で深谷~妻沼のあたりの氾濫原地帯をうろつくのはもう何度目だろうか。残念ながら今回も何の成果も得られませんでした~
うろついているうちに、お寺の甍が見えた。
あ、このお寺、前回にこの道を通ったときに「今度ここを通ることがあれば必ずお参りする」と誓ったお寺ではないか・・・。
立ち寄るしかあるまい。
丸山酒造の横に広い駐車場があるのでそこに車を停める。時刻は16時すぎで、決して遅い時間ではないのだが、きょうはものすごく風が冷たくてお寺参りに適した気候ではない。屋外に5分もいたら、寒さで顔や手が痛くなるというような状態だ。お寺にも参拝者はいなかった。
お寺は華蔵寺といい、血洗島の渋沢家の菩提寺だった寺だという。
とても正確でわかりやすい伽藍配置図があった。駐車場は境内の右側にあり、他の堂宇はそこから左のほうへと並んでいる。
古い密教寺院にありがちな横並びの伽藍配置だ。以前に紹介した籠原の徳蔵寺と似た印象を与える。特に、西側に閻魔堂があるあたり。
駐車場から境内に入るとまずあるのが一間一戸鐘楼門。
この山門、入っても本堂へ通じておらず、位置が不自然だ。もしかしたらもともとは参道に東面していたのを、移築したのではないか?
鐘楼門の右側に華蔵寺美術館の建物がある。
美術館は営業していなかった。
渋沢栄一や尾高惇忠などの書や、美術品などが展示されているという。
これが山門を入った先の光景。
庫裏の裏みたいな場所になっている。庫裏への近道ではあるが、参拝者が入る場所ではなさそう。
楼門を素通りしてさらに進むと、信徒会館か斎場の用途の大きな建物がある。
特徴的なのは大きな車寄せがあること。
かなりの雨の日でも来訪者が濡れずに車から降りられる。
一瞬、回廊か何かかと勘違いするほど立派な車寄せだ。
車寄せを通り抜けて進むと正面にあるのが毘沙門堂。
毘沙門堂内部の様子。
毘沙門堂の北側には東司、というか、トイレがある。
ものすごくきれいなトイレで、今までに見たお寺のトイレとしてはトップレベルのきれいさ。
毘沙門堂から北側が本堂エリアだ。
山門は袖塀付きの四脚門。
その前には石像の金剛力士像。
金剛力士像の前にある水盤。
なんと、水の中に魚や亀の石像がある。
これは面白いアイデア。
山門を潜ると正面に本堂。
本堂の右手前には弘法大師の修行像。
この寺は関東八十八ヶ所霊場の札所で、その第87番札所になっている。関東八十八ヶ所は群馬を発心の道場として高崎観音が第1番札所、埼玉が涅槃の道場で妻沼聖天が結願寺となっている。
本堂の左手前には渋沢栄一手植えの松(2代目)がある。
本堂の右側には納経所と庫裏。
本堂の内部。
弱い密教式の構造で、暗くて見えにくいが内陣の欄間にトラの透かし彫りがある。本堂は外観にはあまり時代を感じないが、内陣部分は江戸中期くらいいってそう。
本堂から左のほうへ通路が続いていて、その先に十王堂がある。
内部は乾漆仏の十王セットで、かなり充実している。閻魔大王を中心とした十王と、左端には司録、右端には
人頭杖をよく見ると、何かがヒモでぶら下がっているが、もしかしたら業の秤の残骸ではないだろうか。惜しい! 誰か業の秤も奉納してほしい。
ところで、十王堂のフルセットって決まりがあるのかね? この寺の構成に業の秤があればコンプリートなのか、それとも獄卒の
境内の西のはずれに来た。ここには大日堂を中心とした伽藍があり、参道も独立している。
このあたりが以前紹介した徳蔵寺と似た印象なのだよね。あちらは観音堂と十王堂だったけれど、こちらは大日堂と薬師堂という組み合わせ。
大日堂の参道を入った左側には六地蔵と水盤舎。
大日堂の参道にある薬師堂。
まだ新しい建物で、内部はかなり淡泊。
大日堂は市指定文化財。たぶん江戸末期くらいの建物だと思われる。案内によれば棟札は1810年に書き写されたものだというから、そのときに建て替えたか、大改修をして現在の姿になったのだろう。
内部は床のある仏殿形式で、須弥壇があるようだ。
奥に古そうな天女の絵馬も見える。
(2023年01月21日訪問)