内容はこの地域で明治後期~戦前に繁栄した石川組製糸の歴史と、養蚕、家内制の製糸の器具の展示だった。
養蚕の概要。
特に地域的な特徴は感じられないのだけれど、繭玉と一緒にうどんをお供えするというところが埼玉南部らしいところか。
蚕品種は「多摩錦」というものが主流だったようだ。
たぶん原種で、現在は養蚕農家等では飼育されていない。
蚕を棚飼いしていたときの道具類。
蚕を置く
折り
よく展示民家などで見かける藁で編んだ「改良藁蔟」は明治末期の発明品という説があり、普及したのは大正~戦前なので、石川組製糸全盛期の展示としてはこちらのほうが正解なのだろう。
資料館のほかアンティークとしてもよく見かける器械だが、使用するにはこのようにウマに載せる必要がある。この形態で展示すべきなのだ。
この展示物の中で一番の見どころはこの器具。
上州式座繰器といって繭から繊維を引き出して生糸を作る道具なのだが、注目すべきは写真中央にある逆T字型のパーツ。
2箇所に小さなプーリーのような部品がついている。この2つの車の間に糸をかけ、繰糸鍋から糸枠までの糸道で糸を絞ることで、まとまりの良い高品質な座繰糸を作る仕組みだ。これを「ケンネル」という。座繰器と一体化したのはこの地域独特の工夫だと思われる。
石川組製糸の展示。
復元模型があった。かなり細かく調べられている。
当時の行政文書で建物の登記資料などをあたれば、どこに工場があり、どのような建物があったかをわりと克明に調べることができるのだろう。
かつて、どこの町にもこうした製糸工場があったのだ。
私が住む群馬県では、富岡製糸場が世界遺産に登録されたことからその観光ポテンシャルのせいで、行政の興味がその一点に集中してしまって、他の製糸工場に対する扱いがとにかくぞんさいになっている。
たとえば完全な形で残っていた乾繭工場の建物をくりぬいて、富岡製糸場に来る観光客相手の土産物屋や箱モノに改造するなどの出鱈目がいまも嬉々として行われているのだ。
群馬県にはかつて富岡製糸場以外にも製糸工場は数百はあったと考えられるが、そのひとつでもこうして調査され、紹介されることはない。
そういう点で富岡製糸場の世界遺産指定は、製糸業や地域に対する興味の広がりを1ミリも生み出さず、地元民の「富岡製糸最高!」というタコ壺を造っただけなのではないか。
他県で製糸に関する企画展を観ると強く感じることである。
石川組製糸はいくつかの生産拠点をもっていたが、そのメインは第一工場で、この地図の場所にあった。
現在は団地と国道16号バイパスになってしまっている。
一応、現地を少し歩いてみたけれど、当時の遺構らしきものは見あたらなかった。
国道沿いには石川組が建てた教会と迎賓館である西洋館が残っている。
西洋館はちょうど工事中で見学できなかった。タイミングが悪いときに企画展に来てしまった。普段は見学できるようだ。
もっとも、これが当時のどんな豪華な建築物であっても、本当に見たいのは生産施設の遺構なのだよね。
スレート波板外壁の軽量鉄骨のバラックであっても、それが当時の生産施設なのであればそっちの方が見たい!
おそらく明治~戦前の多くの製造業では、このように事務所の洋館だけが文化財として指定されて残り、本来の生産施設は取り壊され、どのような工場だったのかはわからなくなっていくのだ。
続いて、第二工場の跡地へ来てみた。
跡地といわれる範囲を歩き回ってみた。工女さんの寮などが残っていないかという点にポイントを置いて見たが、それらしきものは見つけられなかった。
唯一関係ありそうなのはこの倉庫なんだが・・・でも時代的にちょっと違うかな。
あとでよくよく調べてみたら、第一工場のほうに繭蔵が残っていることがわかった。
機会があればいずれ行ってみようと思う。
(2017年11月11日訪問)