塙保己一の生家

江戸時代の国学者の生家。

(埼玉県本庄市児玉町保木野)

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近くに(はなわ)保己一(ほきいち)の生家なるものがあるというので行ってみた。江戸中期に『群書類従』という日本の歴史書を編纂した国学者だ。

写真中央の看板に「埼玉ふるさと自慢百選」人物第1位とある。県民の投票で渋沢栄一らを押さえて1位になっていることから、埼玉県では人気のある偉人なのだろう。

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保己一は幼少のころに失明したが、盲人の官職につき大事業を成し遂げ、検校の位に上りつめた。

江戸時代には盲人のための当道座という職能組織があり幕府の庇護を受けていた。その官職の最上位が検校で、小大名にも匹敵するような高い地位だったという。

明治政府によってこの制度が廃止されたため現代の私たちにはぴんとこない。

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旧宅は国指定史跡に指定されている。有形文化財ではなく指定史跡ってことは、指定されているのは建築物ではなく地面ということなのだと思う。

現在、保己一の子孫の住人が住んでいるので、敷地の外から写真を撮るだけにした。

保己一は延享3年(1746)の生まれであるから、もしそのときの主屋が残っていれば、最低260年以上前の建物ということになるが、見た感じ、そこまで古くは見えない。幕末か、へたをしたら明治の建物ではないか。

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文化財の看板を見ると、この建物は保己一の父の時代に建てられたもので江戸中期の農家の建築の特徴が見られるみたいなことが書いてあるが、ホントかね。

この説明どおりに1700年ごろだとしたら、国重文指定待ったなしかと思うのだが・・・。

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敷地の西側は公園になっている。

手作り感あるすべり台があった。

滑降部の構造が以前に神川町で見たすべり台とよく似ている。同じ鉄工所の製品なのではないか。

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ただ、何度か書いているが、このように滑降部の手すりに下方に向けて狭くなるスキマがある構造は指を挟むのではという不安がある。

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いまいる児玉町の西部と神川町は神流川右岸の台地で、地域的には同じだ。どうもこの地域には個性的な遊具が多く残っているようだ。

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園内には稼働する遊動円木もある。

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遊び方のよくわからない回転遊具。

似たようなものは徳島で見たことがある。

公園は整備され、2023年現在、写真の遊具はすべて無くなっている。

(2011年04月01日訪問)

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