さざえ堂のある丘から、小平の集落を見渡すことができる。
2階建ての養蚕農家の主屋が目立つので少し見ていこう。北関東にたくさん見られる、総二階の切妻民家はすべて養蚕のために造られた民家だ。さかんに建てられた時代は明治~戦前くらいまでで、広い室内の畳を上げて蚕の飼育場所する、養蚕最優先の建物だった。蚕の飼育回数が増えると日常生活に支障が出たため、戦後は飼育棟を別に建て、主屋は2階だけを蚕に繭を造らせる部屋として利用し、1階は家族の生活に使うようになったのが一般的だ。
いま養蚕業はかなり規模が縮小していて、埼玉県全体で現役の養蚕農家は40戸ほどしかない。ときどき桑畑などをもとに現役の養蚕農家を探しているが、ここから見える範囲に現役の養蚕農家はたぶん残っていないと思う。
この集落の民家の大棟には換気の小屋根を載せている家が目立つ。この小屋根をヤグラなどと呼ぶ。
このように1つの小屋根が大棟の半分くらいにおよんでいるものを私は「半
このように小さな小屋根が2つ載っているものは「二つ櫓」。
3つならば「三つ櫓」である。
どの家も蔵を持っていて、かつて養蚕が有望な作目だったことがわかる。
この三つ櫓の農家は大きな長屋門を持っている。
下男などを住まわせて、大きく養蚕をやったのだろう。
この家は3階建てで、その上に二つ櫓を載せている。
蚕が儲かった時代は、とにかく1匹でも多くの蚕を飼いたかった。そのため、切妻2階の小屋組みの中に板を渡して、仮設の3階として蚕を飼うようになる。だが和小屋にしろ木造トラスにしろ、小屋組みの中には束や梁があるから、それをよけながらの作業はきつい。そこで改築して作業しやすい3階を増設する農家も現われた。この家はそうした農家なのだろう。
3階部分にはきちんとした雨戸がはまっているから、現在は古い生活道具や養蚕の機材などが押し込んである納戸になっているのではないか。
2階は大家族の時代には子ども夫婦の部屋になったり、下宿などに使われた時代もあったかもしれないが、おそらくいまは使われていないと思う。なにせ養蚕農家は2階の床=1階の天井という「踏み天井」で、遮音性は皆無、2階で猫が歩くのが1階でわかるという感じだから現代人の生活には合わない。
奥に見えるコンクリブロック積みの小屋はもしかしたら集乳所か?
(2014年05月25日訪問)