小平集落は南に山があり、北に向かってに開けていく地勢だ。
集落の南北に通る一本道を南へ道なりに進むと榎峠という細道で長瀞方面へ抜けられる。この集落に来ると、どうしてだかいつも最後にはこの南の細道へいざなわれてしまう。そういう、引きつけられる道なのだ。

成身院で観光案内を見たらこの集落の山奥に「岩屋堂」というお寺らしきものが書かれていた。
岩屋? 洞窟とか投げ込み形式の懸崖造りのお堂でもあるのかな。
時刻は16時半ですでに日が西に傾いていたが、日が長い5月なのでいってみることにした。

場所は集落を南に行き、道なりなら右に折れる突き当たりを左に進む。
道切りがあった。
この先を車で進むのだが、対向車がきたらどうしようというような細い道だ。

その細道を2kmほど進むと駐車場があって、道は終わっていた。ここからは徒歩になる。
「岩屋堂へ15分」とある。急な山道だし15分は決して近いとはいえない。
あまり情報もなく、GoogleMapsも真っ白な場所なのでどのくら歩くのかもわからないが、ここまで来たからには登るしかあるまい。

案内板があった。
「岩屋堂は、浄土律宗の僧
・・・う~ん、浄厳の経歴より、岩屋堂がどんな寺なのか書いてほしいな、まったく不明なんだろうか。とりあえず、昭和の流行り神じゃなく、江戸中期にはあったということはわかった。

登り口には石清水という水くみ場があった。

ちょろちょろとした、頼りないような沢水だった。

そこから登っていくと、石仏が並んでいたり、旗が下がっていたりして、信仰が感じられる。

旗ままだ新しく、信徒が奉納しているもののようだ。期待が高まる。
「岩屋堂石佛百体観音」と書かれている。

道端に石仏が点在していて、ちゃんと数えたわけではないが、100体くらいありそう。

道は急で、すぐに息が切れる。
こりゃ15分って大変だな。でももたもたしていると暗くなってきそうだから、早足で登っていく。

しばらくすると「不動の滝」という案内があったので、登山道を外れて沢の方へ下りてみた。

沢には水がなく、滝がどこにあるのかわからなかった。
不動明王はあったのでたぶんこの奥なのだろう。


ここまで「岩屋堂って言っても、けっきょく何もないか、雨宿りできるトタン貼りの小屋があるくらいの、ただの登山なんだろう」と諦観していたのだたが、少なくとも山岳霊場の跡を見ているのだということがわかった。

石祠のようなものがあった。
お墓かもしれない。

石仏はまだ続いている。

参道だけでなく、周囲の崖のくぼみにも石仏がある。

また石垣がある。

お寺の石門。

いまは杉が植林されているけれど樹齢は若く、50年くらい前はここは山村のような景観だったのではないか。

石垣のひとつひとつは、けっこうな面積があるので、段畑ではなく僧房が建っていたのだろう。

五輪塔が苔むしていた。

すっごい数の五輪塔の残骸。
往時はかなり人も多かったのじゃないか。

広い場所に到着。
ここのあたりが本堂跡なのだろう。建物はいっさい残っていなかった。

信徒の休憩用のベンチだけはたくさん用意されている。

百観音の親観音かな。

石造の宝塔。

むむっ、なんか洞窟みたいなものが見える!
これが岩屋堂の「岩屋」なのか??

なんでこんなところに洞窟が・・・

鉱山の試掘跡か何かか?

洞窟の奥には観音が並んでいる。

まだここから先に奥の院があるらしい。
もうここまで来たら行くしかない!

道は荒れていて、ホント、ここ行って大丈夫?というような頼りない登山路になる。

駐車場からは標高差で150mくらいは登っていると思う。

奥の院に到着!
ここも洞窟だ。

深さはさきほどと同じくらい。
やっぱり何かの試掘跡か?
そもそもこの洞窟は江戸中期にすでにあったのか、それとも、廃寺跡で誰かが掘ったのか・・・さっぱりわからない。

洞窟の奥には僧形の石造があった。
浄厳なのか?? なんか密教っぽいけど。そして、頭は後補のようにも見える。

性神があった。
あとで調べてみたら、故荒川聡子さんのサイトに情報があり、これは、どうやら松本市の「宮原の道祖神」という有名な性神のレプリカぽっぽい。

トイレの跡。

たまたま案内を見て行ってみた霊場だったが、想像以上の規模にびっくりした。それなりのお寺があったのは間違いない。
さざえ堂のあたりにあった廃寺などと一体に仏教が花開いた時代があったのだろうか。いろいろ想像が膨らむ。
(2014年05月25日訪問)