今市の石畳

江戸初期に整備された石畳という。

(大分県大分市今市)

きょうは朝から阿心院方面へ寄り道し、別府では地獄タワーなどを見ているうちに昼をすぎてしまった・・・。ちょっと時間が押している。

午後には主に竹田を観光し、宿泊地の黒川温泉まで行かなければならない。ちょっと巻いていこう。

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別府→竹田の移動ルートの途中に古い街道の跡があるというので少しだけ寄り道していく。

今市の石畳と呼ばれる遺構だ。

県道をはずれて旧道の枝道に入ると、すぐに道の中央が石畳になっていた。

道幅は8m、そのうち中央2mが石畳になっている。

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石畳はかなり平坦で、上を自動車が走っても大丈夫なほどの精度。

町の中にも普通に自動車で乗り入れてよい。

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案内板によれば、この道は肥後・豊後往還という街道で、宿場町が整備されたのは江戸初期のことだという。

ただし現在残る石畳そのものが完成したのが何年ごろなのか、まったく書かれていないんだけどなんで?

一部文化財の書籍で、石畳は復元という記述があるのが気にかかる。

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石畳は中央に敷かれているだけでなく、有力な家の入口へも伸ばしてある。

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この旧道の特徴は宿場の中央に桝形のようなクランク状の構造があること。

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桝形はわずかにオフセットしている程度の場合が多いが、ここでは40mほどのずれになっているので、桝形というよりかぎの手に道が曲がっていると表現したほうがいいかもしれない。

この場所を信玄曲がりと呼ぶらしい。

石畳だけでなく、石垣も目立つ。

ただし、宿場町によく見られる旅籠や茶屋のような建物はほとんど残っていない。かなり早い時代に宿場として廃駅になったのか。

つまりここは重伝建的な古い町並みというより、道路を観賞するスポットだ。

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見取り図。

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後半の上町は少し上り坂。

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町外れに神社が見える。

せっかくなのでお参りしていくか。

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石畳は町外れで唐突に終わっていた。

(2011年08月07日訪問)