今市宿の西のはずれに丸山八幡神社という神社があった。やや時間が押しているのだが、楼門が見えたのでお参りしていくことにする。
楼門の1階部分に唐破風が付いている。
通常、破風というのは屋根のヘリに付いているもので、屋根のない位置に唐破風というのはおかしい。どうしても付けたかったの?
随身を入れた格子が花頭窓のデザインになっている。
門が作られたのは江戸中期だというが、数回の補修が行われているといい、最後の補修は1991年だった。
ええと、、、江戸中期からの部材って残ってる? 見たところ、ほとんどの材木が1991年版みたいだけど。
あとこの楼門、裏側にも唐破風がある。どんだけ唐破風好きなんだ。
正面左側の随身。
右側の随身。
裏面の腰壁には二十四孝の物語の一つ「
三国時代の呉の国に孟宗という親孝行な男がいた。孟宗は年老いた母と二人暮らしだったが、ある冬に母が病気になり筍が食べたいと言い出す。真冬に筍などあるわけがないのだが、孟宗は雪の積もった竹林で筍を探すと、不思議なことにその場所だけ雪が融けて筍が生え、それを食べた母は快復したという。
筍が美味しい孟宗竹という品種の名前の由来にもなった。
その反対側は「
二十四孝の物語は過激な孝行思考で、正直どうかと思うものが多いのだがその中でも特にひどい人物。
郭巨は母、妻と三人暮らしだった。貧乏だったのに子どもが生まれて食べるにも事欠くようになった。母は孫がかわいいので自分の分の食べ物を子どもに与えていた。それを知った郭巨は「子どもはまた授かるかもしれないが、母は二度と授かることはない」と、妻を説得して子どもを生き埋めにしようとする。穴を掘ると黄金の釜が出て、それを売って豊かになったというもの。
唐破風は出し梁の上に造られている。
中には龍の彫刻。この彫刻が江戸中期かな?
彫刻がみごとなため「ひぐらしの門」とも呼ばれるという。ちょっと言いすぎではないか。
楼門を過ぎると、左側に水盤舎。
その奥には社務所のようなものがある。
拝殿は縦拝殿。
質素な感じだが、ケヤキ作りでけっこう立派。
拝殿の後ろには小さな幣殿を経て、三間社流造りの本殿。本殿もあまり古いものではなさそう。江戸末期くらいじゃないか。
楼門の右側に「社務所」という額のついた謎の建物があった。
ここで社務は行えないだろう・・・。
(2011年08月07日訪問)